農園日誌Ⅱ-「活きること」PARTⅤ

31.2.13(水曜日)晴れ、最高温度12度、最低温度3度

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                   巻き始めたキャベツ

当農園の密集栽培。
野菜はゆったりと間隔を空けて植え込むと、延び延びと育つのか、肥大するのみで
必ずしも良い姿にはなり難い。
ある程度、密集させると、競って大きくなろうとするためか、きれいな形になるし、
収量も上がる。不思議ですね。


「活きること」PARTⅤ

2010年2月―フレンチレストラン

福岡にてわずか10席のフレンチレストランのオーナーシェフ小西さんの元へ、重藤さんの紹介で野菜を納入することになった。当時は、「ビストロ炎」と言っていた。
処が、彼もまた、料理人特有の頑固さを持ち、その取引も長くは続かない。
いくつかの大きな喧嘩は行ったが、アレ要らない、コレ要るなどと、常に注文が多すぎる。
その後、決定的になったのは、大根事件であった。
定番の野菜の中に大根を3本入れた。彼曰く「大根はフレンチには使わんのだ」と・・・
私はこう伝えた。「良いかい、日本にはおでんと言う食文化がある。その中でも最も愛されているのが大根である。では、洋風料理には、ポトフと言う食文化がある。大根・蕪・じゃがいもなどの根菜類などの具材は出汁(スープ)から取り出して、マスタードを付けて食べ、出汁はスープとして飲む。これが本来のポトフである」と、その後、何の返答も無いので、出荷はその日からは打ち切りとした。私も頑固ではある。
 
彼も職人としての思いはあったのだろう。当農園の野菜は特別の野菜であることは分かっていたようで、重藤さんに、佐藤さんが野菜を送ってこないと言ったそうだ。
そこで、私はこのように小西さんに伝えた。
「良いですか、料理人は得てして自分の気に入った材料、若しくはメニューありきで野菜を使いたがる。そうすると、料理に変化が無く、進歩も無い。高級飲食店になればなるほど、固定ファンは重要なお客様となる。その固定客は貴方に常に期待している。次はどんな料理を食べさせてくれるのかと。
マンネリ化した料理はそんな期待を裏切ることになり、次第に固定客は離れていく。
当農園には、自然が選んだ野菜しか無い。それが自然に順に育つ露地野菜である。貴方のお店で使えない野菜は決して送らないが、今後は、貴方の店の席数を考えて全てお任せで野菜を送ります。但し、特にこれが欲しいという野菜は指定してください。
勝手に送られてくるその時季一番美味しい旬菜を、食材の良さを如何に活かして使うかはあなたの腕ですよ。それらの野菜と格闘する貴方の創意工夫や努力をお客様が評価してくれます」と・・・

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低窒素の草木堆肥によって育てられた土壌から生まれてくる野菜達は、みな、はっとするような自然の美しさに溢れており、鮮やかな色彩を放っている。どこかくすんだ蝋人形のような野菜とは異なる。

 
クリスマスの前、小西シェフから連絡があった。
「佐藤さん、200名前後の予約が入っている。今、忙しいから、クリスマスメニューを考えてくれないか?肉と魚介類はこれこれを使う」
丸投げではないが、クリスマス料理に使う旬野菜とその組み合わせを考えてくれ!との依頼であろう。
洋風出汁やソースはフレンチの最も得意とするところであり、後は、素材の活かし方であると考えて、
○白蕪及び色蕪や色大根(紅・赤・ピンク・紫・黒)を見繕って蒸す・焼く・炒めるなどの添え野菜、
○色とりどりの8種類の生野菜とレタス系野菜に、サラダ蕪を添えたサラダセット、
○大根・玉葱・人参・ビーツ・じゃがいもなどの根菜類に香味野菜として春菊・セロリを添えて芽キャベツ・ブロッコリー・キャベツなどの浮き実野菜による煮込みスープ料理、
などの三種類の取り合わせメニューを提案した。
かなりな無茶ぶりではあったが、これもお任せ野菜の発送を要請した建前から致し方がない。
それより、「自然に順」な料理を考えてくれているのが嬉しかった。
 
ある時、野菜の下処理について彼から相談があった。
野菜を美味しく提供するためには、歯触りの良い食感と内から出てくジューシーな旨みは大切であり、くたくたにした野菜では素材感もあったものではない。
野菜の下処理として、中華は油通し、和風は湯通し、では、洋風料理はと言うと、蒸すことだとは一致したが、それでは野菜の中の旨みが出てしまう。そこで、二人で一つの結論を得た。
家庭では電子レンジでチンすれば良いが、フレンチでは料理人としての矜持がそれを許さない。
オリーブ油に浸してから蒸す手法を思いついた。これなら油によってむら無く熱が回り、なおかつ、野菜の旨みは油でコーティングされ外には出ない。
 
今では、100坪のお店を持ち、九州観光列車「七つ星」のメインシェフとなり、野菜の70%以上がむかし野菜であり、その野菜はジョルジュマルソーの味となっており、福岡では有名店にまで昇っていた。お店の名前はジョルジュ・マルソーと言う。
 
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赤・朱・黄三色の人参。赤は日本固有の金時人参、朱は洋野菜、黄は沖縄人参。これがそのままスープになると、俄然と存在感を増す。味香りの濃さ、甘さではなく自然な旨味がスープを引き立てる。
「旨味」とは、日本だけの言葉であり、英語には訳せるワードが無い。
それだけ、日本人の味覚感覚や色彩感覚は優れている。
唯、残念なのは、現在の野菜からは、この旨味が伝わってこない。マーケットでは旨味ではなく、甘さのみ追求されている。高窒素の化学肥料や多量の畜糞は無かった時代、日本の先人たちは一所懸命に草木によって土作りを何代にも亘って行ってきた。
その時代の野菜の旨味に「むかし野菜」は少しでも近づこうとしている。

突然、食通でもある重藤さんが福岡でスープのお店を作りたいと言ってきた。
やや戸惑いは覚えたものの、早速に試作作業が始まる。素材を活かしたスープであるから、そのこだわり方も半端ではない。こだわり過ぎて、濃いスープとなり、お客様の嗜好とかけ離れ過ぎたこともしばしばであった。
とにもかくにも、スタートを切り、重藤さんの奥様が中心となって試行錯誤を繰り返しながらも、軌道に乗っていった。トマトの季節になると、鉢割れたトマトが随分と出る。そのトマトを煮込んでピュアーなトマトソースにしてチューリップスープ(お店の名前)に送った。商品に成り難い野菜も添えて・・
今でも、その時の経験を元にして、トマトソースは農園の夏の商品アイテムとして作り続けている。
只、あまりにも頑張り過ぎて数年で奥様の体調がおかしくなって、閉店せざるを得なくなったのは残念であった。今でも野菜を送り続けており、時折、農園にもワンちゃんと一緒に訪れてくれる。
この重藤さんとの出会いから、次々とコネクションができ、農園も拡がりを見せ始めた。
人との出会いはまた楽しからずや!
 
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この頃、女性陣も堆肥降り、鍬打ち、を行い、農園主の一人農業ではなく、生産量も増えてきていた。
一反当たり、年間3~4回転の作付けを行い、反当収入は3百万円を超えていた。
そのため、昨日までは大根が植わっていた畝に、次の日は、ブロッコリーが植え付けられているといったことになる。畑は空く暇もないほどに高回転をしていく。
それを可能にしたのが、完熟一歩手前の草木堆肥であった。こなれた有機物の中(草木堆肥)には、微生物・放線菌が生きており、土壌の中で、餌となる有機物を食べて活発に行動し始める。つまりは、土を育てているのである。植えられた野菜は、窒素分が少ないため、懸命に生きようと髭根を張り、土の栄養価を吸収しようとする。
完熟一歩手前の草木堆肥は、土壌に入ってから、約一か月ほどで、微生物等から分解され、窒素分を吐き出し始める。十分に髭根を張り終えた野菜はその窒素をお腹いっぱい吸収し、一気に大きく育つ。
二カ月ほど経過すると、窒素分が切れ始め、野菜達は成長が止まり、生き残ろうとして、内に蓄えられたでんぷん質を分解し、糖質やビタミンに変化する。これが糖質・ビタミン・ミネラル豊富な完熟野菜の原理です。


このように農園を開いてから、7年目頃には、飲食店の取引先もできて、定期購入のお客様は100余名に達していた。長男の嫁と次女も農園の主力メンバーとなり(総勢6名)、年間農業収入は10百万円を越えた。決して豊かとは言えないけれども、皆で分け合い、生活ができていた。
農地も4番の畑を加え、3反強ほどに拡がっていた。
農園発足当時から考えていた初期目標である一有機農園にレストラン数軒と100余名の定期購入のお客様と言った一単位のグループができていた。
唯、ここまで来るのに、7年も費やした。歳は60歳を一つ越えていた。
目標としている1,000名以上の定期購入顧客と自然循環農法による10人の農業生産者のグループを形成し、有機農産物を商品とした地域活性化を図るには、ほど遠く、まだまだ先は長くて険しい。