農園日誌ー当世若者気質

30.5.30(水曜日)曇り、時折小雨、最高温度23度、最低温度18度

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                       胡瓜の手

 地面に這っていた胡瓜にようやく手(支柱)をしてもらった。
これから一雨毎に成長していく。
農園はズッキーニ・インゲン豆・胡瓜と初夏野菜に移ろうとしている。
隣のキャベツは、青虫・夜登虫に食い荒らされて、穴だらけになっている。

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左側が紫蘇、右手は蔓紫(緑)、別名、
夏ほうれん草。
別の畑には、小葱が成長している。
紫蘇と合わせて夏の薬味セットとなる。
もう10何年前からか、分からないが、
この紫蘇も蔓紫もこぼれ種から育てたもの
その意味では、自家採取となる。
どういう訳か、買ってきた種より遙かに強く
この畑の土の生命力の強さかもしれない。


一昨日、大分県の振興局の職員が訪ねてきた。
「最近、農業志向の人が来ませんでしたか?ここ6ヶ月の間に、少なくとも二人の農業希望の人が窓口においでになり、佐藤自然農園さんを紹介したのですが・・」
「お一人も来ませんでしたよ。どうも最近の若い方は、生きる目標が無いのか?
自立心が乏しいのか?農業で独立を果たそうとする人が居ませんね」と答えた。

先日も、東京在住の34歳の家族持ちの男性から、「真剣に大分に(田舎に)住みたいと考えており、8月には移住したいのですが」との問い合わせがあったばかり。
聞いていると、勤務時間は?休みは?などの話ばかり。
農業というものが、あるいは、自立農家というものが、分かっていないのか、田舎暮らしの夢ばかり持っており、肝心の農業そのものへの質問は無い。
少し頭を冷やしてあげようと思い、彼にはこう伝えた。

「農業は朝が明けたら始め、日が暮れたら終わりです。雨が降ったら休み、日曜日などの休日は、ありません。農園にはタイムカードは無く、遅霜が降りそうだったら、織布を掛けたりしなければならず、夜中でも出ます。又、出荷日は雨が降ろうと雪が降ろうと、休めません」
「働いた分しか収入は無く、頑張れば家族を養うほどの収入を確保できるように、
むかし野菜の邑という共同出荷・共同加工・共同作業の会社を作っております」
「農業により田舎暮らしを望んでいるのであれば、兎に角、サラリーマンの感覚は捨てなさい」

それ以来ぷっつりと連絡が途絶えた。

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イメージ 5トマトの初期的剪定誘引作業を終えると、
本格的な支柱を立てる。
これから、秋の初めころまで、延々と剪定誘引作業が待っている。
この剪定作業を諦めると、途端にブッシュに変わり、トマトは成らなくなってしまう。
トマトに限らず、特に夏野菜は、剪定誘引作業の成否・稚拙により、決まる。
夏は酷暑と忍耐の連続ではある。


既存農家の高齢化と機械化によって楽に慣れ過ぎた農業者達に今後の農業を期待することは難しい。農家の後継者も農業を忌み嫌っており、これもさらに難しい。
となると、農業を知らない若者たちに期待するしかなくなるのだが、当世の多くの若者たちは、大志と言うものが乏しいように思える。
楽なことを考えるのではなく、「苦=努力や創意工夫」の後に楽しみが待っているということはあまり考えないようだ。

農業での自立は、理不尽さに満ちた社会及び会社組織とは異なり、己を捨てずに、
生きられると言った心の豊かさを持ち続けられることを可能にしてくれる。
そのためには、最初の10年間は敢えて「苦」を求めても良いのでは、と考えるのは我々の世代だけなのだろうか・・・
もしそうなれば、農園主のやっていることは、若者たちには単なる押し付けとなってしまう、などと最近考えてしまう。
やや迷いの中にいるのかもしれない・・・・