社会的存在価値-PARTⅧー消費者とのコミュニケーション

29.7.26(水曜日)曇り、最高温度33度、最低温度26度

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           4番の畑、生育が遅れている夏野菜たち

 寝苦しい夜が続いている。雨が降らない。
スタッフたちは、この暑さで、早朝に畑に出て作業を行い、昼間は休む。
月・水・金の朝は午前6時台から収穫作業を行い、午前11時頃にようやく収穫を終える。休む間もなく、水洗い、選別整理作業に入る。
野菜を無事に送り出すのは18時ころになる。それから約一時間半、わずかな時間を惜しんで水やり、除草、鍬打ち作業を行う。
急にお客様が増えてきたため、収穫出荷作業に大きな時間が割かれ、農作業が随分と遅れている。
収穫日は間がいかないため、農園主は一人農業となる。
みな疲れがピークに達している。それでも黙々と仕事をこなしている。
作業効率は随分と落ちている。

大豆の種はどうにか蒔き終えて、残すところ、一反分のみ。

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左は先に植え込んでいた茄子の畝。    右は遅れて植え込んだ夏野菜たち。
共に、除草作業と草木堆肥の追肥と畝上げ作業を行った。
仕事が詰んでくると、手前の端から渡るしかない。一つ一つこなしていく。
頑張れと言うしかない。

ちなみに左は農園主の一人農業の跡、右はみなでの作業の跡。

昨日から、鹿児島から一人の女性が泊まり込みで見学に来ていた。
現在鹿児島の農業法人へ就職しており、他の農業を見たいと当農園に訪れた。
約一日の研修であった。堆肥作りと若干の収穫体験(牛蒡掘り・トマトの収穫など)
と発送作業をしてもらった。

話をしてみると、彼女は明確な農業の姿や今後の自分の将来に対してのビジョンを
持てないでいるようだ。
多くの若者がそうであるように、農業に対して絶対の価値観を持っていない。
何がしたいのか?あまりにも漠然としており、ただ、漂う漂流者の姿を見た。

一方、当農園の研修生二人は約一年間を経て、どうやら、目標が見えてきたようだ。
その違いはいったい何なのだろう?
おそらくは、絶対の価値観を持とうとしている人とそうでない人との違いかもしれない
信じる人は救われ、迷う人は救いようが無い、と言うしかない。それがまた悲しい。


社会的存在価値―PARTⅧ―消費者とのコミュニケーション
 
§1.他品種栽培

 今から10数年前、野菜の自然循環農法を始めた当初から、市場流通に出すことは考えておらず、直接販売の途を選んだ。
この農法は、日本古来からの農法であり、自然界の有機物である草・葉っぱを堆肥として施肥し続け、土を育てるというものであり、畜糞や米糠油かす主体の有機栽培とは一線を画しており、自然農に近い農法ではあるが、手ががかるために今では誰も取り組まなくなったむかしの農業であるため、お客様へ伝えにくいものである。当初は農法説明やコミュニケーション方法に苦労させられた。
今でも有機無農薬野菜ですか?との問い合わせが多い。
この農法を説明するために、延々と農法説明から入らねばならなくなる。
今では、ホームページを作成し、メールでの問い合わせを受け、文書での説明が可能となっているため、その手間と時間はかなり軽減できるようになった。
さらに、最近ではKBC朝日放送による詳細な農法のテレビ放映や口コミによるお客様同士の説明を受けて、この自然循環農法は「むかし野菜」と呼んで頂けるようになり、マーケットに対しての伝達方法が楽になった。
 
もし、当初から流通ルートを通しての販売であったなら、とうに佐藤自然農園は行き詰まり、むかし野菜の邑も存在していなかったろう。
また、表題のテーマである他品種栽培ができなかったら、農協やスーパーなどの流通組織に精々数種類の野菜生産をせざるを得なかっただろうし、消費者への直接販売の途も、消費者との会話(コミュニケーション)も開拓もできなかっただろう。
 
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              発送作業の風景

今日は、個人への発送、79件、レストラン等、7件の出荷となった。
膨大な段ボール箱の山。三班に分かれて箱詰めを行う。10数種類の野菜が入る。
レストランは20種類以上。

消費者は我が儘である。
例えば、在来固定種のみの栽培では、野菜の種類も限られており、「在来固定種の野菜しか食べないので、交配種(F1)の野菜は要らない」と言われる消費者もおられるが、私の経験では、その方はそんなに長く続けてそれらの野菜を取り続けることは無い、と思われる。
毎日同じ野菜しか食べられないのですから・・・
また、どんなに安全で、美味しく、栄養価の高い野菜であっても、送られてくる野菜のアイテム数が限られているとしたら、果たしてどうでしょう?
 
当農園が、むかし野菜の邑グループが、永く消費者の支持を得られ続けるためには、どうしても年間を通して、100種類以上の野菜を生産し続ける必要があったのです。
農園には、常に数十種類の野菜があり続けることが不可欠でした。
それがいかに難しいことであるかは、農業生産者であれば皆様お判りでしょう。
野菜は季節の変わり目にはその圃場から従来の季節の野菜が一掃されてしまう。同じ野菜では季節に合わないこともあり、栽培面積が足らなくなってしまったり、どうしても季節の変わり目には必ず端境期がやってくる。
当農園では、そのため、例えば、春野菜と夏野菜が常に同居できる栽培環境を作り続けねばならなくなり、これはかなりのリスクと経験度の高い判断が伴うし、毎年変化する自然条件からの手痛いしっぺ返しも受け続ける。
農園主はそのたびに、お届けできる野菜が無いなど、冷や汗をかき続けることになる。その覚悟がなくて、露地栽培および自然循環農法による直接販売はできない。
同時に、多少季節に合わないいびつな、あるいは、傷の多い野菜を取り続けるという消費者の覚悟も要求されるのです。
その意味では、長く定期購入をなされておられる消費者のことを私は「仲間たち」と敬意をこめてお呼びしている訳です。
 
当農園及びむかし野菜グループは、毎週、あるいは、隔週にて常に10数種類の野菜を送り続けております。
こんなことを言っては消費者の方々に失礼か見知れませんが、中には虫害・気候条件による痛みで、選別出荷に注力していてもすべてが万全な野菜というわけではありません。
そのため、テレビ放映された後にお申し込みのあった消費者や思い入れが強すぎる消費者の中には、わずか(?)一アイテムの痛みをもって、むかし野菜は駄目だとのクレームを頂くケースも多々あります。
その度に、安全で栄養価の高い美味しい野菜を作ろうと草木堆肥を作り、除草剤や農薬を使わずに汗水垂らして過酷な労働をし続けている農園スタッフたちの心は傷みます。
 
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雨が無く、からからに干上がった圃場からは風が吹くたびに土埃が舞い上がる。右は、これでも生姜。水生植物では流石に厳しい生育環境となっている。一本葱は生き残りをかけてひたすら耐えている。

不遜なことを申し上げているかもしれませんが、その度に農園主は彼らにこう言います。
「この農法をし続ける以上は、そのようなクレームも多々ある。それもこれも含めてこのむかし野菜を慈しんで頂ける消費者がお客様であって、そうでない消費者の方は、定期購入へは進まないであろうし、無理にお取り頂かなくとも良いでは無いか。お客様も選ぶ権利があるし、うちもまた同じです。当農園のもっとうは、来る人拒まず去る人追わずです。こう考えなさい。うちの仲間たちは(お客様)自らは作れないが、この農産物への価値観を共有しておられる方々は、うちへ自然循環農法の野菜生産を委託している、と・・・」
 
 今日、農業志望の若い女性が農園の見学に訪れた。彼女の勤めている農業法人は、多収穫野菜(量の確保)を常に追求しており、如何に儲けるかがテーマなんです、と言っていた。
そこで私はこう言った。「それは当然ですね。企業であれば、自分たちが如何に儲けるかを考えており、手間をかける農業や野菜の質を考えることも無いのではないでしょうか、
さらに貴方たち従業員の思いなど考えてはくれないと思いますよ。
当農園はこの農業で儲けようとは考えておりません。むしろ、如何に高品質な野菜を作り、
如何に消費者が喜んでくれるかということを日夜考えております。それが結果として、
利益に、あるいは、スタッフの生活を潤すことに繋がっていければそれで良いではないですか」と・・・
それを聞いていた大きく頷く隣の研修生たちに、私の思いは繋がっているようだ。