農園日誌ー社会的存在価値ーPARTⅦ-自然循環農法の実践

29.6.13(火曜日)晴れ、最高温度27度、最低温度17度

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由布市庄内の麦畑(4反)

 6月の中旬になるも、雨が降らない。
梅雨は一体どこに行ったのだろう。梅雨前線は九州のはるか南に留まったまま動こうとしない。
このため、乾季のような気候が続いており、水遣り作業が欠かせなくなる。
小葱や牛蒡は発芽したまま、雨が無いためにみな、消滅してしまった。
一本葱・九条葱・茄子の残りの苗も定植できない。これらは、小さい時は水が必要なため。
今年はピーマン系・茄子系などの夏野菜の成長が著しく遅れている。
その代わり、トマトは頗る順調な生育をしている。これは雨が苦手な野菜であり、
この気候にぴったりと合っている。例年になく、早い収穫が望めそう。

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インゲン豆(成平)

二番の畑のせいか、雨が降らないのに、順調に生育している
これから約一か月間、最盛期が続くことになる。
端境期の貴重な野菜である。

今年は、丸いんげん四角豆
華厳の滝など、多様なインゲン豆を植えている。



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作業前                       作業後

トマトの支柱立て・剪定誘引作業
初期段階の剪定誘引作業;

露地栽培のトマトは、当農園では、3本~4本の枝を伸ばしている。
先ずは、竹の支柱を使って二本の枝を誘引する。太陽に向かって40~45度の角度に傾けてやる。最終的には一枝が5メートルほどにまで伸ばすことになるため、この傾け誘引作業が必要となる。
芽掻き・葉落とし作業と誘引作業がこれから、10月の終わりまで続くことになる。
この作業を覚えるには最低5年、一人前になるには10年ほどの年月を要する。
ハウス栽培と異なり、雨あり、風あり、時には台風の襲来もあり、それに耐えるだけのしっかりとした支柱作りと誘引作業が必要となる。
農園主はこの処、毎日朝から晩までこの作業が続く。最後は吐き気が襲ってくるほど
疲れてくる。数えてみると13列(60~70mの畝)あった。
一列終えるにはまるっと一日かかり、13日経ったら、最初の畝はもう暴れまくっている。誰がこれだけ植えたのか・・・。

社会的存在価値―PARTⅦ―自然循環農法の実践
                                 
§4.穀類栽培
 野菜の実験栽培を始めて25年、草木堆肥での自然循環農法を始めて17年、農園を開いてから15年を経過した。
如何に美味しく味香り豊かな野菜を生産するか、毎年変わる気候に、どうしたら、安定的に露地野菜が生産できるのか、試行錯誤を繰り返してきた。
そんな中、ずっと頭から離れなかったことがある。
人が生きていくには、食糧が要る。その食には、「糧」が常に中心にある。
糧とは、穀類のことである。
お米は生まれた時から食べてきたし、常に周りにはあったが、麦・大豆・とうもろこし・黍粟などは、農家でもない限りは、接することがほとんど無かった。
これを日本では雑穀と言う。
諸外国では、米・麦・大豆・とうもろこしは四大穀類であり、地域によってはこのいずれかが主食となっている。
常に興味関心があったのは、草木堆肥により栽培された雑穀は一体どうなのだろう?かということであった。
野菜がこれだけ、味香り・旨み豊かに育つのだから、きっと、雑穀も美味しく栄養価に富んでいるのではないか?と考えた。
 
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6年ほど前から先ずは大豆を栽培してみた。大部分は味噌の原料にする。
マメ科の穀類は、窒素過多土壌を嫌う。根粒菌により空気中の窒素を固定する(摑まえる)ため、窒素が多い土壌だと葉っぱばかりが大きく育ち、豆の実入りは少なくなってしまう。
先ずは草木堆肥の施肥調整に3年ほどの実験期間を要した。低窒素である草木堆肥でも、通常施肥量の1/3が妥当であった。窒素分は少なくとも美味しい大豆に育つには、カリなどのミネラル分は必要。
味はと言うと、先ずは現在ほとんどのご家庭ではしなくなった煮豆をしてもらおうと、全国のお客様へ送ってみた。大豆なんて使わないと不満を漏らしていた消費者から、(メールで煮豆を勧めてみた)「子供たちが喜んで食べていました。美味しいのですね」との評価に変わった。
次にお餅を送る際に、黄な粉(大豆粉)を付けてみた。
「お餅も美味しかったのですが、大豆粉にはまりました。大豆の甘味と香がすごく良い。子供たちが美味しいと言って大豆粉を舐めていました」との評価を受ける。
先ずは成功。むかしの食文化を少なくとも内のお客様に限っては、取り戻してくれたようだ。
 
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中力粉(地粉)の全粒粉で作った野菜万頭、リクエストが多かった。特に子供さんには絶大な人気があった。

次に、麦を育てた。
麦と言っても、大麦・小麦があり、小麦粉は、強力粉・中力粉・薄力粉と三種ある。
さらに、現在は長い年月で品種改良を重ねた二粒小麦しか市販されていないが、一粒小麦(古代小麦)もある。この一粒小麦は極めて希少品種であり、収量も極端に少ない。(当農園では実験生産に入っている)
 
日本では、薄力粉と強力粉となる小麦は北海道以外ではできない。
従って日本では中力小麦(地粉)しか育たず、うどん・麺類の原料となる。
また、お焼きと言って、中力粉に野菜を入れ、焼いて食べる。
おやつになると、ながし焼き・石垣餅などがあった。子供の頃はおやつと言えば、これであった。その美味しさを現在の子供達にも味わってほしい。
これが日本の食文化であった。今ではこの食文化もほとんど消滅しようとしている。
ところが、今では、国産小麦(中力粉)が外国産の安い小麦に押されて、ほとんどその作柄を見なくなってしまった。クッキーには薄力粉・パンには強力粉と日本ではほとんど生産できない品種ばかり。そのため小麦と言えば、概ね外国産と言うことになる。
 
 大麦も現在、国内では、ほとんど生産されていないのではないかと思われる。
一般家庭では、麦ご飯として食べられるというより、所謂、雑穀として、健康食品としての位置づけでしかない。
というのも、大麦の精麦をしようと、精麦メーカーを探したり、精麦している製粉所を探したが、超大型機械しかなく、中小型のものは見当たらなかった。これは、国内での大麦栽培農家が無くなっていることを意味している。
 
最後に、とうもろこしだが、当農園ではこれが鬼門であり、3年間虫害により収穫が無い。
実剥きの機械は導入してあるのだが、芯食い虫(蛾の幼虫)にはほとほと手を焼いている。
日本古来からの甲州・白餅とうもろこしを栽培している。
とうもろこしは、諸外国では主食となっているにも関わらず、日本ではかなり以前からその食文化は消滅している。
 
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  小麦の全粒粉で焼いたおやつ。香ばしく中はもっちり。試行錯誤を重ねている。

このように見てくると、日本ではむかしから食されてきた雑穀類がその食文化と共に消滅しようとしていることがお分かりいただけただろうか。
これは、安価な外国産の雑穀に押されて、また、日本の農業の荒廃がそれに拍車を掛けて、衰退していったことによる。
 
当農園では、自然循環農法により、この雑穀の文化を新たな調理方法も取り入れながら、現在に蘇らせようとしている。

雑穀を栽培するからには、その食文化の復活と新たな食べ方を企図していた。すでに取り組んできた自然農のお米(麹にする)と大豆にて純粋な無添加醗酵食品である
味噌は試作しており、お客様にお送りしていた。
支持率98%といった高い評価を得ている。
次に大豆を浅めに焙煎して、大豆粉(黄な粉)を作った。これも子供さんには大好評であった。グループ内で製造した丸餅と一緒に食べてもらった。
昨年、生産していた小麦を粉(中力粉若しくは地粉と言う)にした。敢えて全粒粉とした。
これを大分の郷土料理「団子汁」や「やせうま」にして食してみた。
農園主も驚く初めて体感する美味しさであった。味香りが深く、もちっとした食感を得た。
予想を上回る出来栄えにまずは満足している。
                   
大麦については、乾燥を終え、全粒のまま、浅め、深め両方の焙煎を行い、調理してみようと考えている。一部は麦味噌の原料とし、一部はご飯に混ぜて(押し麦にせず)食べてみようと考えている。新たな発見があるのではと今からわくわくしている。
 
問題のとうもろこしであるが、やはり1/3は、芯食い虫に倒されているようだ。
何とか収穫まで漕ぎつけてくれと、祈るのみ。
これは、乾燥させ、粉にして、小麦・大麦などと混ぜて配合粉にしてみる。
所謂、和性ベーキングパウダーだが、パン及びナンにしてみるつもりではある。
              
今後、この雑穀を使った中間食・おやつ・料理などの開発を試行していく。
当然に、今の若いお母さん達はこの食文化を知らないと思われ、レシピを添えてのご提供となる。

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         じゃがいもの山。見えているのはアンデス(原種は赤い)

この雑穀生産にはもう一つの狙いがある。
現在遊休農地と言えば、そのほとんどが田んぼである。田んぼは大きく分けて二通りある。湿田と乾田である。湿田は深水管理により除草剤を使わない自然農のお米を生産できる。
乾田は、草木堆肥を撒き、雑穀生産を試みる。草木堆肥により徐々に野菜作りに向く圃場となっていく。5年がかりで、ふかふかの土壌を仕上げる。
5年経過した後、南瓜・じゃがいも・玉葱を植える。さらにおよそ3年経過した後は、もう立派なむかし野菜作りのできる銀若しくは金ラベル級の圃場となる。

 

その真の狙いは、農業に未来を感じられなくなった農業者達(主には後継者)に新たなる農業への挑戦をしてもらい、地域が活性化していくことである。

私の目の黒いうちにその夢が実現できるだろうか、果てしなき夢に終わるのか・・・。