農園日誌ーPARTⅦ-先人達の叡智を学ぶ

29.5.24(水曜日)曇り後雨、 最高温度21度、最低温度17度

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         茄子(夏野菜)の中に、春野菜(サラダセット)が居候

 5月のこの時季、夏野菜が一斉に植え込まれる。目に見えて成長するのは、雨の多い梅雨時季。日本の自然の仕組みは誠によくできている。
その間、畑一面は夏野菜に占められて、野菜が無くなる端境期を迎える。
そのため、繋ぐ意味でも、春野菜が必要となるが、植え場所に困り、このような春夏野菜が同居することになってしまった。
これも肥えた土の有効活用と実益を兼ねた苦肉の策。

右隣は秋蒔きのごぼう。冬には一旦葉っぱが枯れて、寒い冬を乗り越えて、春4月
新しい葉っぱを付ける。野菜の生命力の凄さですね。
左隣は、2月蒔きの人参。同じく寒さに耐えて、4月になると若葉を思い切り茂らせる
5月下旬から6月初旬に出荷となる。

 4.30.「食の集い」の後、テレビ放映された直後から、お試しセット申し込みの問い合わせがひっきりなしに入る。
問い合わせ件数はおよそ1,200件を超える勢い。現在は第二波がきているようだ。
皆様には大変に申し訳ないのですが、既存の仲間達もおられ、その方々に迷惑を掛けられないので、3か月待ちになるかもしれないが、必ず一回はお試しをお送りいたしますと答えている。

 以前テレビ放映された際とは明らかに異なる反響が出ている。
これまでは、安全な野菜を求める子育て世代である30代前後の若いお母さん達の申し込みが多かったのだが、半分弱が年配の方で占められている。
その方々の大方のご意見は、「こんな野菜が未だあるなんて、信じられない」とか、
「探していて諦めていたのですが、昔の野菜作りをされている方がいらっしゃったのですね」等々のお話が圧倒的に多かった。
そういう方に限って、「お忙しいでしょうから、いつまでも待ちます」との付帯のご意見が添えられている。

あるいは、「癌を患っている。生きたい」とか、高度なアレルギー疾患を持ち、「人生に絶望していたが、希望が見えてきました」とか、ここまで言われると流石に、「おい!
みんな頑張るしかないぞ!」と、スタッフ一同を励ますしかない。
みな、二か月間ほど休みが取れておらず、疲れはピークに達しているにもかかわらず、まっすぐに前を見据えて働いている。
かれらには良い経験になることだろう・・・何、一生のうちにこんなことは何回もある。
それを乗り越えた者が本物になる、と農園主は思うのだが..



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茄子の合間にちらちら見えるのが、レタス系(春野菜)定植してから、一度も雨が降っていなったが、今日、待望の恵みの雨が降り出した。農人の頑張りに天が応えてくれたのだろう。これでしばらく、水遣り作業から解放される。
自然は時として人間の数百倍の仕事をしてくれる。ありがたいことだ。

 
社会的存在価値―PARTⅦ-自然循環農法の実践編
                                                             
§1.土を育てる
 むかしの農本には、野菜作りのことよりも、土作りのことを書いた文献が多かった。
三代に亘り、土を肥やしていかないと良い野菜はできないと書かれていた。

 近代になってからは、窒素が成長の元であるとか、リン酸やカリなどが野菜の骨格作りに寄与するなど、植物の生長が、化学的に明らかになり、硫安(窒素)などの化学肥料が発明され、飛躍的に生産量が上がっていったと、説明されている。
確かに、化成肥料を使うと野菜は巨大に育つし、生育スピードも早い。
では、近代農業は進化しているのか?と言うと、どうやら、生産量の向上のことばかり推し進めているようだ。種子は交配を重ね、増収・均一・耐病性・見栄え・作り易さなどに重きが置かれている。「土を肥やす」と言った概念はどこにもない。
どうしたら、美味しくなるのか?どうしたら、栄養価に富んだ野菜が出来るのか?などの命題ははほとんど出てこない。まして安全性のことなど触れられてもいない。
なるほど、そう言えば、国も農産物の質より、量のことばかり言っている。
スーパー等、野菜販売店では、規格サイズや見てくれや鮮度のことばかりである。
現在の農業の学者達の多くは、江戸時代の農業など、歯牙にもかけない。前近代的農法であると、見下したような見解が多い。
その前近代的な農法である江戸時代(この時代の農業本しか残されていないが)では、窒素・リン酸・カリなどの科学的知識はない。
先人達は土を見て、その出来具合、この場合は草木堆肥を使って団粒化を促進させていたのだが、如何にふかふかになっているのかを論じている。また、長い経験値でしか判断が出来なかっただろうが、酸性化を防止するために、焼き灰を常時的に施肥していたようだ。
枯れ木に花を咲かせようの「花咲か爺さん」の逸話は本当だったのである。
 
これを現在の近代農業と比較してみても、実に科学的(化学ではない)であったことが伺える。
窒素の補給は人糞をこならせてから施肥していた。これは現在の化学肥料に相当する。
土壌の中和は焼き灰により調整している。現在では苦土石灰を使う。
慣行(近代)農業で最も問題となるミネラル不足は、江戸時代では草木堆肥により十分に補っていた。
 
このように見てくると、むしろ現在農業の方が、私には明らかに見劣りすると映る。
土作りのことなど、念頭になく、常に対処療法であり、それを現在の学者は近代的と称する。私などは、むかし農法を探れば探るほど、その土作り、農産物作りへの造詣には感心させられることばかりであるのだが・・・。

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江戸時代と違って現在は剪定枝の破砕機もあり、タイヤショベルもある。
機械を駆使して作るとは言っても、やはり膨大な手間がかかる。
集めてきた草を広げ、わずかな牛糞を発酵促進剤として上に重ね、その上に剪定枝(破砕をする)と葉っぱを厚めに重ね、トラクターで混ぜ合わせ、
ショベルで積み上げる。

 
 このような例がある。以下は化学肥料も畜糞肥料も使わない農法である。
今では、二圃場とも草木堆肥の施肥歴4年目の畑であるが、耕作する以前は、一方は化学肥料と農薬による近代農業の圃場(6番の畑)と、他方は、ほったらかしにされて5~6年経った自然農状態の圃場(7番の畑)がある。
6番の圃場の野菜はどこか弱弱しく、成長も遅い。7番の方は、草が生え易いのには閉口させられるが、野菜は逞しく、成長も早い。
つまり、7番の圃場は草茫々になっていたため、土壌が育っていたからであり、6番の方は、化学肥料によって強制的に育てられていたため、土が痩せていたからである。
同じ現象は卒業生の後藤君の圃場でも顕著に表れている。葉っぱの色からして違っており、
雑草に覆われていた圃場は青々として見るからに元気が良い。
 
化学肥料や農薬を使用されていない自然な土壌には生命力がある。そこには、無限の微生物や放線菌が満ちており、害虫も棲んではいるが、自然が見事に循環しており、土壌を常に再生してくれる。これを私は自然の浄化再生機能と呼んでいる。
極く最近になって、一部の農学者から、微生物と植物の共生機能が指摘され始めている。
つまりは、それぞれの野菜にはそれぞれの微生物が張り付き、共に助け合った生きている。
このことを科学的な知識を持たない先人たちは、毎日の農業の実践の中で知っていたことになる。
そのように考えてくると、近代農業は、進化ではなく、退化しているのかもしれない。
土は化学物質に塗れ、微生物・放線菌は棲めない、ミネラル分も少なく、痩せた土壌となっている
現在人は、糖質・ビタミン・ミネラルなど、栄養価に乏しく、美味しくない野菜を食べさせられていることになる。
そうは言っても、有機野菜が絶対に良い、と言っているわけではない。
畜糞を基本にした有機野菜は、むしろ、餌となる配合飼料に化学物質や抗生物質ホルモン剤などがかなりの量、入っている。しかも、窒素・リン酸過多となり、化学肥料を使用した圃場に近づいてしまう。これが畜糞肥料の化学肥料化と言う現象である。
そのような有機農法では、化成肥料と同じく、野菜は大きく、早く成長する。ミネラル分のバランスは悪く、糖質・ビタミン類も少なく、何より野菜が美味しくない。
畜糞に頼った有機野菜の弊害が出てしまう。欧米のオーガニック野菜もこの例が多く、日本人の先達の作っていた草木堆肥には遠く及ばない。
 
当農園の例で述べさせていただく。
当農園では、所謂、肥料は使わない。余分な窒素分供給を避けるため、草木堆肥一本だけであることを前提として見て欲しい。
 
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※余分な窒素分とは、
 野菜が生育するには、やはり窒素分は不可欠である。但、当農園の農法では、成長過程のみ必要とされ、完熟期には、無い方が望ましい。(窒素を切ると言う)
野菜は、土中にある窒素分をあるだけ吸収しようとする性質を持っており、完熟を妨げるだけではなく、余分な窒素分は、硝酸態窒素となり、人の体には毒素となる。この写真は、草木堆肥を振って畑を耕した後に、生育期間の長い実物(夏野菜)を植え込むために、先肥として堆肥を
置いている処。
 
圃場を借りて、さあ!野菜を作るぞ、と言っても、この農法では、先ずは土作りから始まる。一年目は、年に、三回草木堆肥を振り、野菜の種は蒔くが、ほとんど成長しない。
二年目、約3~5センチの深さに団粒化が進むも、土は依然として固く、成長はまばらであり、種を蒔いた野菜も同じく固く、糖質は感じるも葉肉が薄く、歯切れも悪い。
卒業生の後藤君の圃場と当農園の8番の圃場がこの状態。
 
三年目に入ると、明らかな変化がみられるようになる。
土の団粒化は10~15センチの深さに達し、野菜にも勢いが出てくる。
グループでは、この段階の野菜を「赤ラベル級」としている。ようやくグループ内にて市民権が得られる。(価格は慣行栽培野菜よりやや高いか、同程度となる)
野菜に甘味と香が出て来て、葉肉も厚みがあり、歯切れもかなり良い。
4~5年までの土壌では、「銀ラベル級」と昇格し、味香に加えて旨みがほのかに感じられるようになる。土壌は20センチ以上に団粒化が進む。
 
真にむかし野菜と呼べるのは草木堆肥歴が5年以上の圃場からである。
この段階の野菜は「金ラベル」と称している。
但、この段階でも、キャベツやトマトは植えるが、人参やセロリは植えない。
人参・セロリは、味香りがデリケートな野菜であり、旨みに加えて、やさしさが求められる香味野菜である。10年以上経過した圃場でないと、美味しくない。歩くとバウンドするほど、ふかふかである
団粒化が30センチ以上にまで達する。当農園の16年目の圃場は、土が砂状にさらさらに変わっている。
 
それでも日本の先人達が言う、「土作りは三代かかる」、には程遠いようだ。この自然循環農法(むかし農法)は奥が深く、だから止められないのかもしれない。
農園主は現在も試行錯誤の連続で、未だに野菜作りが下手であり、先人たちの叡智には当分の間及びそうにない。