農園日誌ー社会的存在価値ーPARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ

29.5.10(水曜日)曇り、最高温度21度、最低温度13度

イメージ 1
                         ビーツ

 昨日、大分県議員団が振興局と一緒に、農園見学に訪れた。
わずか一時間農園を視察し帰って行かれた。一体何のために来たのか?
それでも、雨の中、3・4番の畑を回り、年間百種類の野菜生産と端境期を作らない
農業の話をした。
彼等の目に留まったのは、珍しい野菜ばかり。初めて見る野菜にきょろきょろ。
農業振興の具体策を語るも、目は宙を泳いでいる。
振興局長は、はっきりと今後の対策を求める私に、今までとは勝手の違う農園主に
目がきょろきょろ。
農園と親交のある議員さんの働きかけで今回の視察は実現した。
県や議会を動かすにはまだまだ時間をかける必要があるのだろうが、そんな悠長なことでは、農業の、地域の消滅は時間の問題だと言うのに・・・
焦っても仕方がないことで、こちらはひたすら若者を、そしてお客様を(市場)育てるしかない。
新たな施設が完成したばかりで、これからが「むかし野菜の邑」の始まりとなる。

九州朝日放送の放映日は木曜日の午前10時、「朝です!」にて。

イメージ 2
食の集い

結構広い施設も
流石に160余名が
入ると、狭い。
ごった返した中、
餅つき・だんご作り
が始まった。

席が足らず、スタッフ達は急遽、臨時の椅子机を用意したり、大忙しで
お客様と語らうことは
ついにできなかった。
テレビ放映の中で、皆様の感想を聞くしかないことになってしまった。

イメージ 3
ジュルジュマルソーの
料理教室での一コマ

美味しいサラダの
作り方・ドレッシングの
作り方・炒め野菜などの調理の仕方などなど
お客様の質問に答えている風景。

ご苦労様でした。



社会的存在価値―PARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ  
                                 
§Ⅴ.自然循環農業―後編、自然循環農業
 最近、ご年配のお客様からこのように言われることが多くなった。
「この野菜、むかし食べていた野菜と同じ味がする。懐かしい。」と・・・
スーパーに行くと、ニーズに基づいているのかもしれないが、同じ野菜がどの季節にも並んでいる。今ではみんなそれに慣れていて、季節感などは感じなくなっている。
 
当農園のグループは、露地栽培を基本としている。自然のままにと考えている。それは所謂、概念的な自然農ではない。ほったらかしでは、野菜は、農産物は、できない。
農園の日常は、30~40種類の野菜を切らすことなく出荷するために、常に10人ほどの農人達が作業を行っており、作業工程を組んだり、指示を飛ばしたり、農園主はゆっくりと考えている暇はない。ある意味毎日が常在戦場である。
作業も一日同じことをし続けていることは無い。
例えば、午前中、2・3・4番の畑に堆肥を振り畝を立て、紫・白・緑の茄子を定植し、育苗中の一本葱の定植を行う。午後は、5番の畑にピーマン・万願寺・伏見トウガラシを定植し、4番の畑にスイスチャートを定植し、ビーツの種を蒔く。
17時に一旦休憩した後、5番の畑の玉葱を引き、整理して軒下に吊るす。
牛蒡の畝にタデなど雑草がびっしり、二班に分かれて、除草作業も行う。
ようやく一日の農作業が完了したのが、19時過ぎ。
このように、多種多様な野菜を育てており、様々な農作業が重複、除草・種蒔き・育苗・水遣り・定植・支柱立て・畝作り、そして草木堆肥作りなど、目まぐるしい一日となる。
 
農園の休日は毎土曜日となっている。その時間は、農園主が畑の見回りと野菜とのお話をする貴重な時間となっている。その中で、翌日の、あるいは、一週間の植付計画・作業計画・段取り・などの行程管理を行っている。
同じものを膨大に生産する管理栽培(ハウス)とは異なり、露地栽培には多様性があり、毎年のように変わる気候に常に対応していかねばならない。
露地栽培とは、季節の移り変わりに即して季節季節の野菜と向き合い続け、旬菜を育てる自然に順な農業である。
そこには、人間の恣意や驕りは通用しない世界がある。

イメージ 5
トレビス(チコリ)

サラダの貴婦人
どこか妖しげな色合い
食べるとほのかに
ビター。
コンビネーションサラダ
に入ると、俄然、存在感を放つ。
今では、農園の定番
商品となっている。





私達は、草を集め、剪定枝を破砕し、草木堆肥を作り続け、ひたすら土を育てている。
堆肥以外には、苦土石灰・焼き灰・牡蠣殻しか撒かないし、有機肥料も使わない。
一つの圃場に、年間約3~4回草木堆肥を撒く(つまり、様々な野菜が3~4回転する)
土は毎年約3センチほどの深さで、団粒化する。
3年(赤ラベル)より5年、5年より10年、10年より20年と、土は毎年成長し続けている。むかし野菜の目安である5年間の土育てでようやく3センチ×5年=15センチ
の深さまで団粒化していく。10年で30センチの深さまでふかふかの土に変わって行く。
 
 そんな土壌の中では、無限大の微生物・放線菌が増殖し続け、子虫を頂点とした生物層ができていく。そこには、ミミズや孵化した幼虫も棲み付く小宇宙のような生命のドラマが生まれている。やっかいなことではあるが、その半数以上の幼虫が害虫となる。
自然農の世界には害虫が居なくなるなど、そんな都合の良いことがある訳もない。それが自然界である。
あるお客様からメールが入る。「佐藤さん!朝起きたら家の中で蝶々が待っていました」と
「発送段階でチェックはしているのですが、おそらく、キャベツか白菜の中にさなぎが混じっていて孵化したのでしょうね。申し訳ありませんでした」とお返事をすると、
「流石ですね。子供たちが喜んでいました。かわいそうなので外に離してあげました」
そんな寛大のお客様に囲まれております。
 
自然の厳しい試練を乗り越えて、生存競争に打ち勝った逞しい野菜達は、農人達が慈しんで育ててはしますが、自分たちが作った野菜とは到底思えません。
むかし野菜は、味香り豊かで、肉厚で歯切れが良い。ミネラルもバランスよく入り、糖質・ビタミン豊富で栄養価に富んでおり、自然が育てた美味しさがある。
そのことを教えてくれた日本の先人達の叡智に感謝している。
 
 先日、英国に赴任したご家族から海を越えてメールが届く。
「4カ月ほどになりますが、早くもむかし野菜が恋しくなりました。子供達も大分の野菜って美味しかったんだなと言ってます。こちらのオーガニック野菜は、ほのかに牛糞の匂いがしますし、美味しくないです」と・・・
今から100年前は、日本がオーガニックの先進地でした。
残念ながら、今では、私の知る限りにおいては、埼玉の川越地区の二軒のさつまいも生産農家とむかし野菜の邑のみが、先人達の叡智を受け継ぐ農園である。
折角復活させたその自然循環農業を途切らすことなく、未来へと繋いでいかねばならない。
 
小さな耕作面積を積み上げたような中山間地を多く抱える日本の農業には、元来、最も適した農法が高集約型の自然循環農業であった。
この農法が、日本全国に広がり、農業しか産業の無い地域に新たな移住者が集まり、循環農業によって採れた安全で美味しい農産物などの加工品が生まれ、有機農産物の商品化が進む。
美しい田園風景を求めて、その農産物や加工品を求めて、都会地の消費者が訪れる。
それこそが体感型農業であり、農産物→加工品→商品化→観光へと繋がっていき、地域が再び活気を取り戻せる日が来ることを願って、「むかし野菜の邑」と名付けた。
 
イメージ 4
これからの日本を背負っていく子供達。
未来の宝物達。

玉葱を引いている処
広い畑に入っての
収穫体験。

もう止まりません。

子供達には楽しい、貴重な一日となったことだろう。