農園日誌ー社会的存在価値ーPARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ

29.5.2(火曜日)晴れ、最高温度20度、最低温度13度

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              晴天の五月晴れ、収穫体験の風景

 4.30.「食の集い」開催。
子供さんも含めると160余名の方々が参加して頂いた。
受付を済ますと、即、全員で収穫体験へ向かう。
この収穫体験は必然的に子供さんたちが主体となる。
おそらくは、みんな初めての体験に、戸惑う風も無く、農園主の支持に基づき、一斉にほうれん草を引っこ抜く。(二番の畑)
まだまだ小さくてかわいそうな人参も、えい!子供のためだと引き抜くことをOKする
「いいか!葉っぱが広がっているのが収穫してよいの合図だぞ!間違えるな!」
というと、小さな顔どうしが隣と見比べながら、威勢よく引っこ抜く。
かなり的確に引いていた。

続いて、7番の畑では、ブロッコリーを収穫。その場で口にほうばり、急にませた顔つきで、「うまい!」と・・・
5番の畑では、大根引き、と玉葱の収穫。ここまでくると最早、制御不能状態。

子供の顔が、喜々としてくる。目がまんまるくなり、興味の塊に変わってきた。

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その間、加工場の厨房では
マルソーのスタッフ達が、
調理作業に入っている。
気迫に満ちたその姿が印象的

ラム肉・牛肉の塊・魚介類の
準備をしている。

この後、収穫してきた野菜の
調理に入ることになる。
この後、この施設は料理人達の戦場となる。
一斉に160余名が集まる。

収穫体験から帰ってきたら、堆肥作り体験へと進む。
子供達が待ちに待ったタイヤショベルに乗る体験が始まる。
ショベルに4人ずつ乗って、剪定枝や葉っぱの集積場に突っ込む。子供達から歓声が上がる。
他方では、施設内では餅搗きが既に始まっている。竈で自然農の7分搗きのお米と
古代小麦の炊き合わせご飯も用意されている。
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肉まん(野菜万頭)の具
ミンチと椎茸・キャベツ・葱など


ざっくりと切って素材感を出す。




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調味料は漬物(乳酸発酵食品)のみ。皮は小麦全粒粉。

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蒸して野菜万頭の出来上がり

この他自家製味噌によるだんご汁。
臼杵による搗き餅
瓜の青漬け(粕)
干し大根の糠漬け
全粒粉のやせうま(自家製
大豆粉)
などを用意した。
ここまでは農園料理。



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ごった返している農園広場
まるでお祭り会場のような
混雑の中、マルソーの
フレンチ料理がみんなにふるまわれた。

料理が出る度に、あちこちで
歓声が上がる。

子供達にはマルソーのおやつが、大人達には安心院ワインがふるまわれる。


子供達に聞いて回る。「どうだい!楽しい!美味しい!」の連呼。子供達の笑顔が
嬉しい。子供達は正直である。

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最後は、ジョルジュマルソーオーナーシェフ、小西さんの料理教室。
次々と質問が飛ぶ。その場で実演をしながら丁寧に教えていた姿が印象的。

※小西さんは九州観光列車、七つ星のメインシェフ。わざわざ、お店を休んでまで
  駆けつけてくれた。彼のお店も、10年前は7坪しかなかった。
  そのころから当農園との付き合いが始まった。
  当初の3年間は喧嘩の連続。10年を経過してお互いに成長していったのかも
  しれない。

集いの締めくくりの挨拶の際、しばらくは、拍手が鳴りやまなかった。
マルソースタッフも含めて当農園のスタッフ全員へ向けた拍手であった。


社会的存在価値―PARTⅥ-先人達の叡智を学ぶ  
 
§Ⅴ.自然循環農業―中編、持続可能な農業とは?
 東洋医学は非科学的と言った理由によって、明治時代以降、排斥され続けてきた。
西洋医学は、病気の基になる患部を摘出したり、病原菌に対抗する劇薬を投与し、それを駆逐しようとする対処療法となる。当然に人の体は大きなダメージを受ける。
西洋のボートは水に対してまっすぐにオールを突っ込みその推進力によって前に進む。
東洋では櫓を使い、手首の返しだけで船を進める。時間がかかるが長く続けられる。
 
中学生の頃、習ったとは思うが、窒素・リン酸・カリの三要素によって植物は育つ。
その中でも窒素が無いと野菜は育たない、と習ったはず。
これが農園主も頭から離れずに、有機農業の実験栽培を始めた頃は、とにかく肥料のことしか考えなかった。
そのため、牛糞を使ったり、米糠・油粕・骨粉なども試してみた。
それらには、中学時代に習った三要素は必ず含まれている。
それでも、トマトは子供の頃に食べた鼻にツンと抜けるような青臭さと味香りがしない。カリッとした歯切れの良い胡瓜にならない。
どこかが間違っている。
 
それから随分と図書館に通った。
微生物・放線菌の専門書や野菜の生理や有機野菜の本などを読み漁った。
答えが出てこない。
昔の農家はどのようにして野菜を育てていたのだろう?と、小さいころに頭の隅に眠っていた記憶を辿り、木や藁に人糞や畜糞をかけて堆肥を作っていたことを思い出す。
さらにその前の時代、江戸時代の農本を探してみる。
読みづらい。まるで外国語を読解しているようだ。
それでも読み進めていると、日本の農業が数代に亘って、土作りに取り組んできたことが見えてきた。当時は畜糞などはわずかしかなく、草と葉っぱを使った草木堆肥の歴史であった。肥料(おそらくは現在で言う追肥)として人糞と草を瓶に入れてこならせてから、使っていたこと、その留意点などが書かれていた。
江戸時代は、無尽蔵にあった草や葉っぱを堆肥として作り、土作りを行い、長屋から出る人糞を売り買いしていた(追肥)ことも詳しく書かれていた。
一部の学者が前近代的な農法と言っているようだが、実に合理的なしかも科学的な農業の姿がそこにあった。
これが所謂持続可能な農業であり、土作りの歴史であった。
 
当農園は、勿論人糞などは使わなくても、放牧場から取り寄せた牛糞(草が主食)を草木堆肥の発酵促進剤としてわずかに使っている。
剪定枝を破砕機で破砕し、集めてきた草と牛糞を一定の割合でロータリーにて混ぜ合わせて、タイヤショベルで積み上げている。
むかしの農人に比べてかなり楽をさせてもらっている。
それでも、楽を覚えた化学肥料・農薬による近代農業や畜糞に頼った有機農業などに比べると、草木堆肥作りだけでも数倍以上の労力と手間を要する。

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当農園には、ハウスの圃場は無い。除草作業をしないための黒マルチも使ってはいない。
又、黒マルチは、地温を上げて、強制的に大きく育てる。ハウス栽培と原理的には似通っている。
ハウス栽培(黒マルチも)は生育スピードも速く、ムラなく均一な野菜ができる。
当農園にもハウスはある。但し、育苗用としてではあるが、偶に、空きスペースで種を蒔くこともあり、露地栽培と比較して、二倍以上の大きさとなり、生育期間も露地に比較して2/3ですむ。
何故露地栽培に固執するのか?
はっきりと言って、施設栽培農産物は大味で美味しくないからである。
少し当農園でむかし野菜作りをかじったばかりの研修生ですら、楽なハウス栽培を頭から考えようともしない。
 
農園主も何故ハウス栽培は美味しくならないのか?と言うテーマに頭をひねってみるも、明確な根拠は見いだせないでいた。
科学的な説明はある程度はつく。
野菜発育に必要な条件である気温が大きく変化しないこと、自然界の風雨に晒されないため野菜がストレスを感じない、水分調整が可能である、ネットをかければ害虫の被害を受けないなどなどは、理解できる。
また、管理栽培で急速に大きく育つ野菜は、根の発育も弱く、土中の栄養素を十分に吸収せずに育つし、完熟しにくくなり糖質が少なく甘味も薄くなりがちである。
 
但し、それだけでは説明できない何かがありそうだ。
露地栽培の場合、自然の厳しい条件に耐え続けて生存競争に生き残った野菜であり、生命力に溢れている。生命力を持った野菜は、傷を負ってはいても、それだけできれいである。
近年、水耕栽培やフィルム栽培などの、化学的に必要な養分を与えて育つハウス栽培も現れている。特殊な薬品を使って水分や肥料をし難くして、糖度を上げる方法もある。
西洋医学の対処療法を思い出してしまう。
 
実に月並みな言い方で申し訳ないが、不揃いで傷だらけの露地野菜には生命の神秘の世界がある。

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この庭は私と研修生が庭師となり、木の机や椅子は竹内君は大工をし、
看板や広報は後藤君が担当し、農園料理は女性スタッフ達が何日もかけて
準備し、ようやくオープンが出来ました。
農園主はむかし野菜の邑の核が育っていることを誇りに思っております。
お客様の評価が、皆さん礼儀正しく、親切に接してくれているといった言葉を沢山頂きましたことに、感謝しております。
至らなかったことが多々ありましたことをお詫びいたします。
今後ともむかし野菜を慈しんで頂きますように!ありがとうございました。

                               敬具、