農園日誌-社会的存在価値-PARTⅧ-先人達の叡智を学ぶ

29.4.5(水曜日)曇り、最高温度17度、最低温度8度

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                   一粒小麦の畑(狭間町)

 寒い春の影響でやや成長が遅れていた小麦がようやく穂が出る寸前まで育ってきた。
除草剤も化学肥料も農薬も使わないため、畝の間を管理機が走るようにしている
勿論、除草のためだが、そのため、慣行農法と比較して収量は2/3以下に落ちる。
この一粒小麦は、平野さんの圃場でわずかに育てていたものを分けてもらった。
ローマ時代からの小麦の原種で、交配を重ねてきた現在の二粒小麦とは異なり、
おそらくは、小麦アレルギーを起こさないだろうと期待している。
穀類は一切食べれない子供さんがお客様におられ、何とか食べていただきたいものだ。

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越冬した牛蒡
厳しい冬の間に、一旦葉っぱが枯れ落ちて、
ようやく新しい葉が
出始めた。

牛蒡の種蒔き期は
木の芽時、3月とされているが、かなり無理をして越冬させた牛蒡。

5月頃に何とか収穫できないかと期待している。

 野菜を途切れらすことも無く、消費者に直接送り続ける農園としては、端境期を失くす一つの工夫ではあるが、うまく行く時もあり、まったくできない時もある。これも農業。

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ほうれん草

時間差を作り種を蒔き
出荷調整を行う。
秋から一体何畝、種を蒔いたことだろう。

いつも思うことだが、
芽吹いた野菜が青々と育っていく姿は美しく
今でも感動することが
常である。



社会的存在価値―PARTⅧ-先人達の叡智を学ぶ
 
§Ⅲコミュニケーション戦略(お客様との対話)

 銀行員時代、様々な分野の事業再建を手掛けてきた。その一つに飲食店があった。
一つは、確かイタリアンだったと記憶している。その店は内装もこだわり、居心地の良い空間を作っており、料理も素材を選び、中々に質の高い料理を提供していた。
しかしながら、お店は常に閑古鳥。オーナーシェフは、私にこう言った。
「この地域の客は料理の良さや素材の良さを知らない。程度の低い客ばかりだ」と・・・
私はそれを聞いてかなり怒った記憶がある。
「良いですか。いかに良い商品(料理)であっても、それを伝える努力をこの店はしていない。質の高い料理は、お客様との対話があって初めて伝わるのです。それでこそ商品となるのです。食べたら分かるなどは如何にも傲慢です。」
以後、私の仲立ちでサービス係を育て、シェフの替わりに料理の内容を丁寧に説明することに勤めた結果、徐々にファンも増え始めて事無きを得た。
 
もう一つ、洋食屋さんだったと思う。路面店で立地も良い。お客様もそこそこには、入っているのだが、万年赤字となっていた。
席に座ってメニュー表を見てみた。なんと5ページに亘ってメニューが並んでいる。
シェフに言った。「貴方は一体何が得意料理なのですか?これだけバラバラのメニューが並んでいるとお客様は何を注文したらと良いのか、迷ってしまいますよ」
シェフはこう言う。「本当はミンチカツなどの洋食が得意なのですが、オーナーから様々なメニューを作りお客様を喜ばせなさいと言われたものですから」と・・・
早速、オーナーとシェフを呼んでこう指示した。
「先ず、このメニュー表を全て撤廃しなさい。飲食店はそのシェフの最も得意とする料理だけを出すべきです! 万年赤字の要因は、メニューが多すぎて材料の多くが無駄になっており、お店の特徴も無く、お客様も何が美味しいのか分からず、固定客が付かない店になっているのです」
「定食を前面に押し出して、その週に一番良い素材を選び、今日はこれですと言う風にアピールしてください。それ以外はアラカルトメニューとして
10品程度に留める様に。お客様は食べるプロです。料理のプロではありません。シェフ(プロ)が選んだ料理が一番美味しいに決まっています。お客様は品数が多いのを喜ぶのではなく、美味しいことを喜ぶのです」
その後、私も厨房に入って、料理の試作を繰り返し、洋食の定食屋さんで売り出して、赤字解消の店舗となった。

この二つの例は、如何にお客様の立場に立って、商品を考えていくかの事例です。
と同時に、提供する側の商品コンセプトの大切さを示しています。
つまりは、商品とは、品質・販売形態・店舗・店員の対応・伝え方などの全てを指します。
如何に質の高い商品であっても、上記のコミュニケーション(お客様との対話)の仕方によっては、お客様の理解は得られないことを、理解しておくべきです。

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中央の畝の手前は、冬なのに虫にやられた箇所。右の畝は、トレビス(チコリの仲間)。これだけを食べるとやや苦みが勝ってしまうが、他のサラダ系野菜と混ぜると、俄然、ひときわ際立ち、美味しくなる。将にサラダの貴婦人ですね。


商品開発とは、それを買って頂く客層に向けて行うものであり、如何に質の高い商品が出来たからと言って、ターゲットとなる客層に黙っていて伝わるものでもない。
商品の次に問われることは、お客様とのコミュニケーション(対話)である。
コミュニケーションには、「望・見・知・認」の四つの段階がある。
広告等は「望(眺める)」、新聞テレビ等は「見」、雑誌等は「知(読む)」、営業や体験や口コミ等は「認(納得)」です。お客様は認知しなければ、購買に至りません。
ちなみに悪い口コミは千里を走る。当農園はこちらからは、決してお客様を選ばないし拒まない。来る人拒まず、去る人追わずに徹している。
 
有機野菜を欲している消費者は80%にも達している。
それでも有機野菜の市場規模は1%にも満たない。
真の有機野菜生産者が少ないことも要因ですが、消費者の安全や栄養価に対する知識・認識が乏しく、まだ、市場が育っていないからです。
欲するとは、単に知っている関心があるだけであり。ニーズとは、金銭を払うと言う痛みを伴ってまでその商品の必要性を感じている段階のことです。
 
 農業者の場合、その農産物をお客様に伝えると言うことを、永年放棄してきたため、消費者との接点(対話)を失くしてしまった。有機農産物(差別化商品)であっても、顧客と本来向き合わねばならない「売れる商品」としての認識が希薄となり、直接の相手である「流通」から求められる商品を作っているだけなのです。
つまり、農産物商品は、本来消費者から求められるはずの、鮮度・味香・旨み・食感・安全・栄養価、そして美味しさなどの品質ではなく、副次的な要素でしかない見栄え・規格サイズなどの等級で評価されているのが現実です。
 
これでは、市場が育っていく筈もありません。
 
流通が巨大化し、無機化している今こそ、消費者と直接向き合う試みが問われている。
 
 むかしはどうだったのだろう?
住宅街には、リヤカーを引いたおばあちゃんが農園から直接野菜を売りに来ていた。
街には必ず八百屋さんがあった。
そこでは、野菜の料理の仕方、旬菜への知識、美味しさを見分ける能力、など、様々な野菜に関する情報や知識が満ちていた。
「奥さん、今日はこの茄子と胡瓜を買いなさい。土作りにこだわっている農家のものです。今が食べごろです。旨いですよ。どうして食べたら良いかですって、焼き茄子にしなさい。肉厚シューシーですからすぐに火が通りますよ」などの会話があった。
 
現在はその八百屋さんも、リヤカーの姿も無い。

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約25mの長さに積み上げられた草木堆肥。これで一夏の夏野菜と、トウモロコシなどの穀類の堆肥を賄う。奥に見えているのが今回新設している加工場・製粉棟・レストハウス

 
むかし野菜の邑グループでは、お客様との直接取引(宅配)を基本としている。
調べてみたら、2百数十名のお客様のうち、関東方面のお客様が47%、
九州内が36%、それ以外の全国が17%となっていた。地元大分が18%しかいない。
民力度の違いはあるとしても、これは如何なものか?
 
以前より考えてきたことではあるが、圃場を生産体感農園にして、農園に多くの方が遊びにきて頂くことにしたいとの思いは強かった。
現在建設中の施設はまさにそのためのものである。
ここでは、出荷作業ヤード、加工場、農産物・加工品保管庫(保冷)、製粉所を用意した。
それに、麹部屋、竈部屋も加えた。
この施設は、作業施設であると同時に、お母さん達の学びの場であり、憩いの場でもある。
農場体験・堆肥作り・味噌作り・漬物作り・調理実践・おやつ作りなどを、当農園のスタッフ達と一緒に体験して、食の安全や大切さに関心を持ってもらおうではないかと考えた。
乳幼児を抱えたお母さん達は行くところが無く、子供達を預ける処も無い。
そこでこの施設には、レストハウス(子供の憩う部屋)を備えている。
 
作業の無い曜日は、広く市民に開放し、この施設を利用してもらおうと考えている。
美味しい野菜のセミナーなどの活動を通して、お客様との対話をし続けていき、むかし健康であった時代の食生活や伝統の食の復興を考えていきたい。
 
これからの時代、農業も直接お客様との対話を通じて、自分たちが生産している農産物商品を理解して頂ける努力と市場を育てていくことが大切である。
その試みの一つがこの施設となってくれることを願っている。