農園日誌ー社会的存在価値

29.2.8(水曜日)曇り、最高温度10度、最低温度3度

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              雑草除去作業中の風景(5番の畑)

 今年も玉葱の草取りの時季がやってきた。
びっしりと雑草に覆われ、玉葱の成長が滞っている。根も深い。
一畝、除去するにも、一人では3日はかかる。
この長さの畝が今年は20本ある。一畝にはおよそ3千本の玉葱を植えている。
一本一本の植え込み作業も大変だが、除草作業となると気が遠くなるほどの時間を要する。寒い時季だけに手が悴む。
そんな作業中に窪田君が、お父さん、仲間となる若い農業者を増やすには、本を書きませんか?と提案があった。
「自然循環農法の教則本のようなものでは意味がないし、地域活性化では固すぎるし、結いの仕組みでは意味が通じない可能性があるな」
「ところで、窪田君は何故、農業をやろうと考えたのかな」と聞くと、
「人生は長いし、一生、サラリーマンとして縛られて働くのもどうかな?と考えて、
同じ一生なら、農業者として、生きていくのも良いかな、と思ったんですよ」と・・・

「それだな!生きる意味を探している若者も多いだろうな。」
「社会的存在価値と言う言葉を知っているかい?そのテーマについて語り出したら、
おそらくは、長い話になるだろうし、混沌としてきた現在社会では、随分と迷っている
若者達も多いことだろう」

窪田君曰く、「また、農園日誌の読者が減りますね。でも、自分の価値を探している
人達は多いのではないでしょうか」

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野菜を洗う作業風景

朝からあちこちの畑から収穫された野菜は
先ずは、選別整理し、
洗いにかける。

寒風の吹く中での水洗い作業は冷たくて辛いい。

焚火はこの時季欠かせない。


「社会的存在価値」ー序章

 現在、農園では、若い男女が6人働いている。女性は二人とも主婦。
皆、20代~30代の若い世代である。
男性4人は、望んでこの仕事に就いている。
女性もおそらくは、生き甲斐を感じ始めていると勝手に農園主は思っている。
農園主も含めて60代後半の3人は、経験は豊富だが、ぼちぼち、世代交代の時期を迎えている。

一般的には、誰もが嫌う農業の仕事。

 そもそもが、農園主が会社員を定年一歩前で卒業し、突然に農業を始めたことが
その始まりであった。
自らに何故農業を?と問いかけてみる。

永年、事業再生の仕事に関わってきたせいかもしれないが、妙に使命感があり過ぎたように思える。
地域の疲弊が目に付き、特に農業しか産業の基盤を持たない中山間地ではなおさらであった。このままでは、地域が、その生活文化が、自然が壊れていく、暖かい人の心までもが壊れていく、とやや焦燥感に駆られて、地域活性化有機農業及びその産物が手助けにならないか?と考えてしまった。

そんな思い上がりは瞬く間に打ち砕かれていった。
自然と向かい合う農業の厳しさ、手を取り合おうともしない荒廃してしまっている地域農業者の心、農産物を取り巻く巨大流通マーケットの厳しさ、無知から来る消費者の関心度の低さなどに向かい合う日々が続いた。

窪田君の一言から、自分が何故農業を?の答えは意外に身近に合ったように思える
その答えは、迷える若者達がおそらくは探しているであろう「社会的存在価値」を求めていたのかもしれない。

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29年2月の野菜達。
偶々去年の秋、植え付けた野菜が壊滅したため、今頃になってようやく全復活となり
極寒の野菜の乏しい時、こんなにも豊富な種類の野菜が揃っている。
出荷作業は早朝から18時頃まで、9人のスタッフと一人の女幼児での作業が続く。
この児には常に一人が付きっ切りとなる。
子供は社会の宝物ではあるが、この宝物は手を取ること夥しい。


人は、皆、自らが生きている意味、つまりは、人から認められたい、と思っている筈。
人間は社会的動物であり、一人では決して生きられない生き物であることを分かっていると思う。
個人から集団へ向かわざるを得ない。そこに会社(あるいは、共同体)というものがある。
会社とは、社(やしろ)に集う(会う)と書く。社長とは、その「やしろ」の取り纏め役のことである。
ちなみに、社(やしろ)には必ず神にお供えするものがある。それが「食」であり、
その多くは、人が生きるために不可欠な農産物であった。
社長(古来は王)は、その食(農産物)を共同体(会社)に如何に公平に分配しているかが問われた。

現在、自由主義の名のもとの近代資本主義が限界に達しようとしている。
分配が偏り、世界的に不満が鬱積しつつある時代を迎えている。
その中で、人の心(和の心)は荒廃し、若者たちは大いなる迷いの中にいるように思えてならない。
少しでも多くの若者たちに一筋の光を灯すことができたらと、「社会的存在価値」
のテーマに触れてみたいと考えている。