農園日誌ーこの国の行方ーPARTⅦ

29.1.18(水曜日)曇り、最高温度10度、最低温度3度

イメージ 1
                草木堆肥作りの研修風景

 先日の日曜日、山口県からかねて連絡のあった農業青年団が視察に訪れた。
女性一人を含む7名、と山口県の職員2名。(うち一人は農水省からとのこと)
今までの研修や視察旅行とは比べ物にならないほど、熱心さが伝わってきた。
極寒の中、3時間の予定をはるかに超えて4時間半に及んだ。

皆さん、農協への出荷に疑問を抱き、何とか自主独立の途を探りたいことと、
化学肥料や畜糞に頼らない農法を身に付けたいとのこと。

当農園の若手の直接指導の下で、冬季の露地栽培の基本となる竹の支柱による
トンネル張り作業と、剪定枝の破砕作業・草木による堆肥作りの実習を行う。
野菜を食べてみてその味の濃さに驚いていたようだ。

その後、黄な粉餅をほうばりながら、質疑応答に入り、自然循環農法のこと、除草作業のこと、農薬不使用のこと、多品種栽培のこと、消費者への直販の仕方やお客様とのコンタクトの仕方などなど、多岐にわたり質問が寄せられた。
テーマが大きく短時間で伝えられるものではなく、消化不良に終わったようだ。

農園主としては、マーケティング的な経営やお客様とのコミュニケーションのことを
お話し、最後は、当グループの「結いの仕組み」を説明し、皆さんにグループ化や分業生産のことを勧める。
その後、農園日誌を繰り返し読んでいるのだろう。急にアクセス件数が増加している

道程は険しいが、一人孤立するのではなく、みんなで頑張って、一緒に農業をやってほしいと願う。みなさん、目が良い。久しぶりに生きている目を見た思いがする。


イメージ 2
イメージ 3



 






黄な粉作り作業           高菜漬け作業   
大豆を洗い、干して、煎る作業の後  収穫した高菜を天日に干し、塩もみ
翌日、粗びきを経て、製粉を行う。  を行い、漬込む。その後、数回、
大豆の大変さは、雑穀と選別作業   塩抜き(絞っては漬ける)を行い
にある。              9カ月ほど漬込むと高菜の古漬け
                  となる。

イメージ 6
イメージ 7











ーこの国の行方ーPARTⅦ 地域復興への新たなる試み 最終章
 
(成長とは何?)
 日本では(東洋ではというべきかもしれないが)個人主義が育っていない。
欧州は相手の自由な立場を尊重しながらの個人主義なのに対して、日本における個人主義は、むしろ自分本位、若しくは利己主義に近いのかもしれない。
 
とは言っても、欧米型の資本主義・個人主義は、次第に、生き詰まりを見せ始めている。
大企業はよりグローバルに富の増殖を図る。それらの繁栄が社会を豊かにしてくれるとの期待は無い。富の偏りは、階層社会から次第に階級社会へと変えつつある。
国も会社も、そして個人も内向きに動いている。自己への欲は膨張を始めるのだろうか?
個人主義、あるいは、自由主義とは何なのだろうか?成長とは何だろうか?
世界は新たな価値観を模索し始めているのかもしれない。
 
一社繁栄の時代は終わったのではないか?と以前から考えている。
社会は、あるいは、経済は分業から出来上がっているのが正しいのかもしれない。
例えば、農園主が目指している結いの仕組みは、上下関係よりも、グループ内の互いの立場を尊重し合う役割分担や多種類農産物生産における分業から成り立っている。
つまりは、互いの社会的及び経済的存在価値を認め合うことがその基本的な理念である。
 
それは外部との関係でも同じであり、若者たちが模索しているマルシェも、依存し合う飲食店もその一つ。そこには上下関係は無いし、実質支配も無い。
生産者と消費者の関係もまた同じ。作る人と食べる人で、価値観を共有している。
 
それぞれが同じ目的の下に、あるいは、同じ価値観の下に、一つの営みを分担して行っていくことが基本になっている。
結いの考え方は、広い意味でネットワーク(仲間達)に繋がっている。
 
成長とは、経済の膨張のことだろうか?だとしたら、資源の無い日本は他の国へ進出し、輸出額を増やし、他の国の金銭的価値を取り、国内へ還元していくことになる。
国内還元とは言っても、大企業のみが繁栄し、自国(日本)の民は富むことも無いだろう。
世界は、今、自国主義へと舵を切ろうとしている。大国ほど有利になり、力のない国の民は常に命の危険に晒され続ける。
経済は需要と供給から成り立っている。需要には外需と内需があり、簡略化すると外需拡大はとどのつまりは、経済的な外国の富の収奪に繋がり、内需拡大とは、自国民を富ませ、国内で資金が回ることである。
国内では、家電も車も内需拡大が難しくなっている。極く一部への富の偏りは、民の階級化を進め、国内購買力が落ちてきているからである。


イメージ 4
イメージ 5










大根の甘酢漬け作業
大きくなりきらなかった大根を小口切りにして、砂糖・酢・塩で漬込む。
昆布やその他の調味料は加えない。
大根の美味しさをそのまま生かすためであり、素材の出来栄えが問われる。
こちらは女性陣の仕事。当農園も分業制が進んでいる(?)
しばらく、ぐずっていたが、幼い孫は母ちゃんの背中でぐっすり。
この甘酢漬けは、ほとんど子供さんが食べてしまうらしい。親の口にははいらないそうだ。


(遥かなる市場)
地域では、町や村が消滅の危機に晒されている。産業が無く、農業では生活が難しくなってきた農業後継者達が次々と田舎を離れている。政府は農業者の平均年齢が65歳であると言う。10年前も同じことを言っていた。農業者が増えていないわけだから、確実に平均年齢は75歳に近づいていることになる。
 
食糧の輸入は年々増加し、特に穀類などは、お米を除いてその90%以上が海外へ依存している。国内産の麦・大豆などを探すのも難しくなっており、あるとしても年々高価なものに変わってきている。農業者が居なくなっている。
やがて、お米も野菜も同じ道を辿ることになる。
 
発展途上国では、国の強引な後押しにより、経済発展の名目で工業化・近代化を推し進め、地方から都市への人口の移動を促し、地域の人口や産業の空洞化を招いている。
国が富むと言うことは、産業の多様化や農業の発展が無ければならない。
技術を磨く職人が敬意を払われることによって、産業の多様化は進み、質の高い農産物生産を競い合うことによって、農人は意欲を持ち、食糧の国内生産力は向上する。
そうして国民は豊かになり国は成長する。その意味では日本は先進国とは言えない。
経済発展や成長とは、富だけではなく、心の豊かさを伴うべきものである。
 
「むかし野菜の邑」では、今は、自然循環農業の若い後継者を育てようとしている。
ここでは、食の安全を担う農人として、生きていることの誇りと、生きる喜びも教えようとしている。
やがてこの邑が成長していく過程で、一仕事を終えた年配者達もここへ移住してくることを誘うつもりである。最初は農業技術や体力は低くとも、彼等には生きる知恵がある。
ここで育った若者達と融合してくれることを願う。それぞれの生きる場所と目標を持って・・
 
面白い会社がある。
三和酒類という会社であるが、確か4社が合併してできたものであった。
そこでは、決まりは無いらしいが、社長が長く固定しない。つまりは、会社が倦まない仕組みが出来上がっているようだ。
ある意味では、内部から腐っていく組織を嫌い、長く生き残っていく自己防衛本能かもしれない。
 
次の時代を担う若者達もわずかながら育ってきている。
 
農園主は、自らが老害化しないため、道筋さえ作り終えれば、この事業から退く日を心待ちにしている。そして、土に勤しみながら、自然体へと戻る。
 
この国の行方に、長らくお付き合いいただきありがとうございました。
何らかのご参考になれば幸いです。
皆様に幸多かれと願っております。
 
敬                                敬具、