農園日誌

28.9.28(水曜日)曇り後雨、最高温度29度、最低温度22度

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       露地栽培野菜の輝きに思わずシャッターを切る・・・セニョリータ

 今日は雨の出荷日、午後からは降ったり止んだりの一日。
9月初旬以降、晴れた日は数えるくらいの日数しか無い。
完全な日照不足と降雨や湿気で畑の野菜の多くは発芽しても、あるいは、定植しても、溶けていくばかり。
次第に焦りの色が出始める。

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例えば、白菜。
種を蒔いても、育苗ハウス内で、ほとんどが
を見ることなく、溶けていく。

ようやく少量でもポットに上げて、定植すれば
この通り、雨に打たれ湿気にやられ、虫の餌になったりして、ほとんどが壊滅状態となる。
現在、圃場には、キャベツ・白菜・ブロッコリーなどはほとんど残っていない。中秋の野菜の多くは、お客様に届かないことになる。

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厳しい夏を乗り切っても、この気候で、萎れ始めた茄子。

乾季で痛めつけられ、9月の高温多雨気候で
息をついたと思ったら
今度は秋雨前線の停滞で、根が水に浸かった状態に近くなり、
呼吸困難に陥り、
ごらんのように朽ちていくことになる。

畝上げをして酸素を供給しようと思っても、このところの連日の雨でそれもできない。

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まばらになり、虫の餌になり、湿気で溶け始めている紫大根。
せめて太陽でも顔を覗かせてくれたならと、
空の神様を睨む。
せめてもと除草をして
空気を入れてやる。

それでも、復活は難しいかもしれない。
無駄だと思ってもなんとかしなくちゃと手を入れる。

こんな繰り返しを行っている初秋の畑。手を入れ続けねば、秋野菜はまったく無いことになってしまう。これも自然循環の農業。黙々と作業を行う。次第に寡黙になっていくのもやむを得ないのかもしれない。
ずーっと雨と言うことは無い、何時かは晴れ間も戻ってくると言い聞かせる。

こういう時には、いつものことながら、ハウス栽培の楽さを思い、悪魔が耳元で囁く
「誰もわかりゃしないさ。楽をしな!どうしてそんなに露地栽培を続けるの」と・・・


 東京で数カ店、マルシェを営む若者二人に、ここ一カ月ほど、むかし野菜を送り続けている。
有機JASに疑問を持ち、自ら、本物の露地野菜を売りたいと言って当農園を訪ねてきた。思いを同じくする二人であり、試しにむかし野菜を送ってみたら、確実に消費者とコミュニケーションを図っているのだろう。売り上げを着実に伸ばしている)

 そこから、こんなメールが届く。
最近、オクラ・蔓紫・南瓜の評判が上がってきております。
(以前は露地トマト・茄子・ニラと言っていたが、若干お客様の意見に振り回されてるのだろうが)
中でも、あるおばあちゃんが「こんな美味しい南瓜を食べたことが無い。生きていて良かったと心から思う。これも努力して野菜を作って頂いている農家さんのおかげです。その方々にどうかよろしくお伝えください」と言って喜んで頂いたとのメールでした

実はこの南瓜は私の弟が生産したものであり、早速、伝えたところ、「生産者冥利に尽きるな。ありがとう」と答えてきた。

こんなことがあるから、露地栽培は止められないと改めて思わせてくれる。
悪魔さん、さようなら!

思うに、この農業を続けることは、お金儲けのためではなく、それこそ価値観の問題であり、生きることが農業と同義語になっている。
かってサラリーマンであった時代より、確実に生きていることが実感できるのがこの自然循環農法であり、自然と共に生きる農業ではないか。
このことを若いスタッフに伝えると、ピーマンのことは言っていませんでしたか?
美味しいのに!と残念そうにつぶやく。
良い良い!ようやく農業の欲が出てきたのだろう。きっとピーマンが美味しいと言う人が現れるだろう。
分かって頂ける人(お客様=仲間達)に囲まれたむかし野菜グループであり続けたいものだ。

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        紫蘇に花が咲き始めた。可憐で清楚な小花で、実に美しい

この花が咲き始めると、夏の終わりを感じさせ、旬の移り変わりを教えてくれる。
どんなに厳しい季節となっても、秋の訪れを告げる道標となる。