農園日誌ー新たな市場への模索

28.7.27(水曜日)晴れ、薄雲、最高温度32度、最低温度24度

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                         紫茄子

 茄子も最近は多様性があり、写真は紫ですが、白・緑などの茄子も一緒に育ち始めている。従来の長茄子(黒陽)・加茂茄子も定番として育てている。
夏は酷暑の季節。畑の表面温度は50度にも昇る。
そのため、露地栽培では夏時季は、通常では葉物類が育たない。
表面を薄い皮でコーティングして暑い日差しから身を守る実物野菜がほとんどとなる
訳です。
 
 このところの夏の暑さは尋常ではない。
午前6時ころから収穫しているのだが、朝の8時ともなると、頭上から背中から太陽の熱が伝わってくる。からっとした暑さではなく、湿気を含んだ熱風が吹き始める。
雨でも降ってくれるとありがたいのだが、梅雨明けから10日間まるで雨が降らない。雨季が終わって、乾季の日照りが始まったといった感じ。
 
 そんな中、早朝作業(AM6時~10時)、日中は自宅で休みにして、夕刻作業(PM3時~7時半)を行っている。それを毎日繰り返してこの夏場を乗り切っていくことにしている。
スタッフ全員、疲れの色が出始めている。特に研修生にとっては初めての
体験。この時季を乗り切ってようやく畑の一員として認められる。
夏野菜の追肥遣りと畝上げ(中耕)作業は90%は終えた。
中耕作業により根元に酸素が供給され、脇芽除去と選定作業により、特に茄子類は目が覚めたように、成長し始め、ようやく本格的に身を結び始めている。


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大豆の種を蒔いて、
4・5日で発芽する
圃場に行ってみると
多くの鳩がなにやら
実をついばんでいる
出たばかりの新芽を
食べている。

これでは何度、種を蒔いても、いたちごっこならず、ハトごっこになる。

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新芽をハトに食べられながら、蒔き直し、パオパオ(織布被覆)にて防御を行って何とか終了した。

おかげで、二日がかりの大豆の種蒔きとなった。


 
これからは、トマト・茄子・ピーマン系の剪定誘引作業(管理作業)が主体となってくる、やれやれの思いもあったが、あれだけ、水に苦しめられたのに、今度は乾季に野菜が痛めつけられ始めている。葉落ちや葉っぱが裏返り始めている。完全に水不足だ。
ポンプで水を汲み上げては、水遣り作業と、これからは毎日、延々と続くことになる。
薄雲がかかった空を恨めしく見上げる。遠雷が響いている。
ここ、大分市野田や狭間町では、山に囲まれた広い台地となっており、どうやら雷様までもが避けていくようだ。

(新たなる市場)

 農園スタッフも一人の落伍者が出たが、現在、9名のスタッフで毎日の農作業及び出荷作業を行っている。
そのうち、6名は、みな30代(一人19歳がいる)と若い。
皆様の口コミによって、毎年30~40余名の新規のお客様(仲間達)が増えてはいるが、若い農園スタッフの将来を考えれば、やはり、新たな手を尽くして、市場及びチャネルを広げていかねばならない。
一つは一般市場の開発であり、もう一つは特定市場とは言っても、コミュニケーションチャネル(出会いの機会点)の開拓である。

 一般市場については、最近、始まった東京のマルシェとの取引がある。
具体的には、新橋駅前の交通会館の軒先を借りたマルシェが恵比寿他、数か所で同じくマルシェを開いている。
今までは直接販売しか行わなかったのだが、熱心に話を向けられて、お付き合いを始めたばかり。そこも社長以下スタッフは若く20代とのこと。

 むかし野菜の邑グループの特設売り場を作る条件で取引を初めて早、1か月を経過した。売り方と言うか一般顧客とのコミュニケーション手法や説明の仕方などのレクチャーを重ねて、ようやく軌道に乗り始めてはいる。
その気になった契機は、考え方が規制の概念に捉われず、若い発想で懸命に農園の考え方を受け入れてくれていることであった。


 もう一つは、インターネット上の市場への出店。
これも若い担当者が懸命にくどいてくれて、何度断ってもしつこく依頼され続け、そのあまりにも熱心な対応にそれでは、と重い腰を上げた。
これも新たなコミュニケーション手法(販売チャネル)かもしれない。
現在の処、目に見えた結果は出てはいないが、当農園の若いスタッフの勉強のために、継続中である。
少し、面白い展開が出始めてはいる。


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5番の畑。
ここはこの辺りでは一番の高所にある。

そのため水捌けは頗る良いが、難点は
この乾季の時季。
畑がからからとなる。すでに伏見とうがらしの葉落ちが始まっている。
この夏の水遣りの一番の難所となりそう

水をあまり欲しがらない夏野菜、トマト・ピーマン系野菜を中心に育てている


 この農法の難しさは、他に例を見ない、草木堆肥のみ使ったむかし農法であるが故に、グループ内でしか野菜を集荷できないこと。
また、土作りに最低3年を要するため、簡単に圃場が増えていかないこと。
勿論、この農法を引き継ぐ若者が新たな農業者としてグループに加わってもらわないと、さらには圃場は増やせないことなど。
何しろ、労力がかかり、忍耐力が必要となる。

頑張っている彼らのために、残してやれることはしておかねば、との思いが
今の農園主を動かしている。
70歳に近づいている3人は、残すところ、あとわずかな年数しかない。