農園日誌ー農業のグループ化への試み

27.12.2(水曜日)晴れのち雨、最高温度18度、最低温度8度

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  由布市庄内の大豆畑ー枯れ色に染まり始めてはいるが、いまだ脱穀できず

この新規開拓地は、当然のことながら未だ土が育っておらず、大豆はみな小振り
で収量もあまり期待できそうにもない。仕方がない。来年は堆肥を入れ、まずは
土作りから始めないとならない。自然農の難しさを痛感している。

一方、約半反の土地で育った大豆はそこそこに大きな粒に育った。堆肥を入れて
土作りにいそしんだだけのことはある。約二袋、120キロはできそう。
来年度から本格的な味噌作りを始める。自然農の平野さんのお米に麹菌を植え込む。
大豆はかなり苦戦しており、脱穀機を借りてきたものの、不完全に脱穀し、結局は手作業で豆を外さなければならない。
機械脱穀し、手製の網を作り、殻を外す。トーミにより荒ごみを飛ばし、丹念に篩にかける。今度は目で見ながら、傷んだ豆を外す。
真に手のかかるのが雑穀生産ではある。

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九条葱
来春用に植え込んだ
のだが、暖冬のせいか
こんなに育ってしまった
うれしい誤算ではある
今年中に皆様へ出荷できそう。

関東では九条葱は
高値のようだ。白ネギが一般的とのこと。
これは分訣し多産の
葱となる。


(高品質野菜生産の集団営農化への試みーPARTⅡ)

来年初め、三人の農業研修生が佐藤自然農園から卒業となり、それぞれに畑を
持たせ、一応の独立の形を取る。

堅太郎さんは大分市野田に1反6畝の畑を確保し、次郎さんは由布市挟間に3反の田圃を確保した。祐輔さんはいまだ保留。近いうちに自分の畑を持たせてやりたい。
新規の圃場は未だ地力がついておらず、草木堆肥をやり続けて最低でも三年の
年月は要する。その間は騙し騙しの野菜生産となるが、先ずは穀類から始める。
実質的に独立するには、本格的に野菜生産が可能となる(あくまでもむかし野菜の
野菜の美味しさの基準が確認できるまで)3年後ということになる。
その間はかれらも生きていかねばならない。

と言うことで、自分の畑の土作り傍ら、当農園で働くことになる。
農業を始めるに当たり、農機具・生産基地(小屋と言うべきか)を揃えると最低でも百万円ほど、通常は必要となる。
彼らは当農園の設備を使うことによって、その苦労はしなくて済む。
販路はむかし野菜の邑のルートがすでに出来ている。
露地栽培のノウハウはみんなで学ぶことによって出来上がっていく。
その意味では、私はみんなのお父さんということになる。

「父が子に教え伝える」ことをむかしは行っていた。
その良き伝統や風習は今確実に廃れている。
これを現在に復活していくには、少なくともこのような後継者育成=他人の子に伝え、継がせることを全国の農人が行えれば、地域の崩壊は少しは食い止めることができるはずであるが・・・・・

今、当農園では、若い農人達の独立に向けた取り組みや試みを行いつつある。
現在の若者たちは昔風の我々の世代とは明らかに異なり、教えてもらうことに慣れ過ぎている。自らが切り開いていくことが苦手なようだ。
忍耐・努力・根性、まるでスポコンドラマのようではあるが、我々の世代では当たり前であったことが苦手に育てられてきたのかもしれない。

来年、加工場建設にあたり、そんな彼らに一定の範囲の権限を与えて、独立へ向けたやる気=自主性を育てていこうと考えている。
つまりは、集団経営組織作り(営農)の試みを行う。
おそらくは全世界で初めての試みとなると思うが、これには様々な困難が待っている筈である。

その項は次回に・・・

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次郎さんの圃場

焼き畑農法に戻った
感がある。
この圃場は次郎さんが借り受けることになるが、開墾作業は
私を含め、研修生
三人で行っている。
何故か皆、疑問を
感じていないようだ。
これも集団営農組織
の一環ではある。


結いの制度は、昔の日本では極く当たり前に行われていた。今ではどこにも残っていないことが集落の結びつきを失いつつある地域の現状を物語っている。