2022.3.4(金)晴れ、最高温度13度、最低温度0度

 

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                    空豆

 

5月出荷予定の空豆の花が咲き始めていると言うのに、気温が上がらない日々が続いている。

コロナウィルスの感染は、より低年齢化してきており、学級閉鎖が多く出始めている。

おそらくはこのウィルスの自由自在の変異はだれも止められない。

ロシアはさながら専制君主となってしまったプーチンを止められない。

日本国民の多くは勿論ロシア国内でもウクライナへの侵略戦争の始まりにまさかと言う思いを抱いていた。

専制主義国家である中国やロシアの経済をも含めた資本主義経済の行き着く先が見えてこない、混沌とした時代へと入っている。

権力者のあせりと焦燥感を感じるときに、第三次世界大戦のリスクは次第に高まりつつある。

ある著名人が言った言葉、「自由は与えられたものではなく、勝ち取ったものである」

と言う言葉が重く感じられる。自己中心的な考え方から他を慮ることに少しでも価値観を変えて行くことが大切なのではと思わざるを得ない。

 

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2月の異常な寒さの後に来た暖かさに、トンネルは剥がれたものの、また、ぶり返してきたこの寒さに野菜達も戸惑っている。

 

むかし野菜の四季ーPART2

(持続可能な農業とは)

 

持続可能な社会とは一体どのようなものなのでしょうか?

例えば、資本(自由)主義の行き着く先は、一部の企業や人に富が集中し貧富の差が拡大する。その富は株や投機などのマネーゲームに流れていき、投資に回されて社会経済を動かし新たな雇用の場を作ることも無い。そして、益々、富は一部の大企業や富裕層に偏り、中産階層は次第に消えて行き社会は階級社会に移っていく。

さらに、そうした社会ではより楽な流通サービス業に人が集まり、物作り(生産製造)産業が敬遠され、物作り技術や技能を支えている職人の気風が失われていく。

社会経済は産業が偏り活力を失い、多種多様な物を生み出す産業の芽生えは生まれ難い。

社会から生み出される沢山の商品はそれを購う人(消費者)にお金の余裕が無くなり、物は売れず購買力が落ち込んでいく。景気は上向かず、デフレ状態が続き社会経済は活力を失い、

人は内向きとなり社会経済の矛盾に対しても無気力・無関心になる。

経済が、社会が回転・再生産しなくなってしまえば、その社会は持続不能な社会ということになります。このようにして今の日本は全ての産業を適度の配分で再生させようとするエネルギーに欠けているようです。

結論から言うと、持続可能な社会とは、全ての産業がイノベーションを起し易く再生可能なことを指しているのです。

 

技術者・職人・農業者などは紋切り型のマニュアルとは異なり、専門的な経験と勘を持っております。かれらは一朝一夕には育ちません。

私が銀行員時代、不動産詐欺に遭い掛けていた会社員を助けたことがありました。それ以来懇意にさせて頂き、私の仕事上の相談にも応じて頂きました。

その方は、新日鉄の製造部長兼工学博士でした。彼がある時、私にこう言いました。

「佐藤さん、鉄は様々な触媒を使って作っているのです。勿論精密なマニュアルはありますが、その触媒を何時、どのような分量で高炉に入れるかは全て気候変化を見て職人が決めているのです。言わば永年の経験と勘なのです。それは私にも分かりません」

私は唖然としましたが、これが物作り日本を支えていたのですね。

今では、かれら優秀な職人達が定年退職によって退職し、中国・韓国などに引き抜かれていきました。残ったのは所謂マニュアルでした。

政治がセーフティネットを掛けて技術や職人を支援し産業の偏りを無くし、富を生み続ける株や投機を抑え、投資を生み出しやすい環境を整え、社会に於ける富の分配を調整しなければならない筈です。それが政策ですが、今の政治にはそれが見当たりません・・・

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除草剤を使わず、草木堆肥で土を作り、肥料も使わず育てた大豆畑です。
このすさまじい草の中から生き残った大豆を拾いながら脱穀している風景です。

 

では、持続可能な農業とはどのようなものでしょうか?

持続可能な農業のことなどを多くの有識者は語っているが、その方法を知らないため

抽象論を繰り返しており、具体的な方策は示せていない。

園芸業者が河川・道路などから刈り取った草や公園・街路樹・家庭からの剪定枝などは大量な産業廃棄物となっています。それらの木や葉っぱ・草には多様な微生物や菌類が棲んでおります。当農園ではそれらを受け入れ、草木堆肥を作り、畑に施しています。

豊かな大地とは小動物・小虫・微生物・菌類・ウィルスなどの無数の命が生物の連鎖を起こし、自然再生若しくは自然浄化機能を果たしている土地のことを指しているのです。

その自然の浄化機能を果たしているのが微生物や菌類なのです。

持続可能な農業とは自然素材であるそれら草木を堆肥として「自然循環する土」を育てる事です。その農業は膨大な手間と労力を要します。毎年変動する気候にも対処していかねばなりません。

それらの知識はマニュアルでは表せません。永年培った経験と勘が必要です。

農業では、窒素肥料と農薬そして太陽と水さえあれば、取り敢えず農産物はできます。

アメリカ中西部やロシア中央アジアなどの世界の穀倉地帯と言われたところは、永年大量の窒素肥料と農薬を使い続け、地下水をくみ上げてきた。土は砂漠化が進み、生物相は無く、今では瀕死の状態に近づいている。

近代農業では量産や効率を重視し、肥料(窒素)過多の土壌は塩基濃度が上がり、土の表面に塩分が吹き出し、不毛の大地となる。土壌の再生力を奪っている。

窒素過多の土壌・化学物質に汚染されつつある土壌には決して明るい未来は描けないのです。

 

淡路島の玉葱・青森のにんにく・北海道のじゃがいもなどと産地をもてはやし、如何にもその産地の野菜は美味しいと、メディアも含めて伝えております。その産地の野菜はみな美味しいのでしょうか?

確かに種子による美味しい品種特性はありますが、種が良いからと言って美味しい野菜ができる訳ではありません。

野菜の美味しさは「味・香り・旨味・食感」にあります。そして美味しい野菜はすべからく栄養価が高いのです。品質の高い野菜は土作りにその根本があるのです。

 

日本の先人たちは何代にも亘ってひたすら土を育ててきました。その先人たちの叡智を、

肥料栽培となった日本の近代農業では全て捨ててしまいました。

当農園では、雨が降ると畑から突然キノコが顔を出す。古い農業本には「キノコが這える土地は土が出来上がっている証拠」と書かれておりました。菌類等が土壌の再生機能を果たしているからです。

草木堆肥を使ってみて発見したことですが、堆肥を降って畝を立て種を蒔きます。

発芽してからほぼ1カ月間はいらいらするほど成長しないように見えた幼苗が2カ月目に入った頃から目に見えて成長を始めるのです。窒素分を供給し始めるのですね。成長が一段落した頃、窒素分が切れ急に大人になり成長が止まります。完熟期に入ったのです。

この生命のサイクルは化学肥料や畜糞・米糠油粕などの有機肥料ではできませんでした。

最初の1カ月は野菜が成長するための土台として根を張り基部を丈夫にした頃から、窒素分が供給され始め成長を促し、大人になって窒素分の供給が止まり完熟期に至ると言う、この成長のメカニズムは草木堆肥や微生物・菌類が引き起こす生命のドラマなのです。

しかも土は一切汚さず、常に浄化再生機能を持ち続け、美味しい野菜をもたらしてくれます。

この日本古来からの農業こそ、持続可能な本来の自然循環型の有機農業なのです。