農園日誌Ⅲ-むかし野菜の四季

2020.2.12(水曜日)終日雨、最高温度15度、最低温度5度

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二番の圃場。正面は芽キャベツの畝。空豆、セロリ(ビニールトンネル)と続いている。約一反の面積に冬春野菜 が15アイテムほど育っている。

 

2020.2.12 規制国家に生きること

中山間地を回ると、田園風景は一見今までと同じように拡がっているが、人の影は無い。田植えシーズンだけは、トラクターで田圃を耕している80代のお年寄りの姿がぽつぽつと見える。
元気よく飛び回っている子供達の声はまったく聞こえてこない。農業承継者である筈の息子は街に出て行ってしまっているからだ。
圃場の周囲には、必ずと言って電気柵が見える。里山が消え、山際が人家に迫ってきているため、猪や鹿などが里に直接下りてくる。田圃には獣に掘り返されたような跡が散見される。あちこちで放置された田圃が目立ち始めており、多くの獣たちの住処になっている。
千数百年を掛けて営々と田圃に張り巡らされてきた用水路は誰が維持していくのだろう。
一見豊かに見える田園風景には、それを維持していく働き手はいない。
これが今の政治が作り上げた地域の現実です。

日本国民は農業に手厚い補助金助成金が出されていると思っているのかもしれない。
かっては、農業族と言われた農政官僚達の手によって、多くの補助金が出されていた。
その下請け機関として、農協があった。それは今でも大きくは変わっていない。
その補助金の使い道は細かく分類されており、その規程に沿わなければ、返還を求められる。
つまりは、農協を絡めて作り上げられてきたのが、近代農業を勧める大量生産・規格型の日本の農業システムであり、日本の農業は農政官僚・役場・農協などによる一体化した岩盤組織となっている。
広大な面積を駆使してグローバル農業を推進しようとした日本の農業は、日本が規制国家である縮図のようなものなのです。
消費者の方が思うほど、緩くは無く、規制が隅々まで行き届いており、農業に於ける自由は無いに等しい。日本の農業は、狭い耕作面積を使った高集約型農業(高付加価値型)しかできない国土なのです。
こうして全国紋切り型の農業を押しつけられてきた農村部は、すでに自浄していく力も改革する能力も失い、日本の政治は農業そのものを見捨てようとしている様にさえ見える。

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米麹。きれいに麹の花が咲きました。この麹は主には味噌作りのために作っているのですが、他にも漬物・蒸し饅頭などの隠し味に使っている。旨味が付加され美味しくなる。

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今年の冬は気温が急上昇し雨が降り続いたり、また、突然に寒の戻りがやってきたりと、野菜にとっては、生き死にに拘わるほどの変化が起こっている。その度に、露地栽培農業者もトンネルを開けたり閉めたりと振り回され続ける毎日である。

 

「大企業優先による経済の浮揚が国を富ませ、やがては中小企業や地域を潤してくれる」
殖産興業・富国強兵の政策はすでに明治時代に終わっている。世界が縮み、経済的繋がりも拡がり、大企業は生き残りをかけて自社主義に走らざるを得ない。国内に広く資金を(富みを)循環させることは決して無い。
こういった政策に、「そうだ」と頷く国民も今ではそんなに多くは無いだろうとは思っている。
バブル崩壊後、失われた30年と言われている。日本の経済構造の変革(リストラクチャリング)も行われず、規制緩和や撤廃も為されず、ひたすら現秩序を国の補助金などで維持させてきた。
「規制」とは、現秩序・現体制・現企業を守るためにしか作用しない。
このため、生き残れないはずの企業が残され、新しい秩序どころか、新規分野の産業も生まれてはいない。農業と言う産業が変わらないのもそのためである。
このままでは農業と言う産業は崩壊してしまうでしょう。失われた30年ではなく、失われた50年となっており、この先も失われる訳でしょうから、食糧自給も難しくなってくる。

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とある日曜日の農園直売日の風景。竈で石垣餅を蒸して、試食用の小さな団子をお客様へお配りするお手伝いをしている子供たち。

「日本という国は、豊かな山野を持ち、田園風景が拡がる美しい四季の邦である」
以前、日本の現職総理大臣が言った言葉である。
その総理大臣の使ういつもの美辞麗句には慣れてはいるものの、現実政策とのギャップに余りにも大きな開きがあり過ぎる。

官公庁では、自然栽培農家はおろか、有機栽培農家も異端なのです。有機栽培と言うだけで、既存農家からも蔑視の目を向けられてきました。それは今も変わらない。
日本の農政は農協を中心とした米国を真似た近代農業(化学肥料・農薬・除草剤を使う慣行農業)を推進しており、有機栽培への助成支援は実質ゼロに近い。むしろ、消費者保護の名目で有機JAS法を制定し、厳しく規制を加えられております。そのためか、有機栽培農家は増えるどころか、減少しております。
有機農産物のシェアーは0.5%でしか無い。国が一方的に定めた有機JAS規程に沿って生産される所謂「有機JAS農産物」は0.2%に留まっており、年々その有機農家も減少している。
これらのことはおそらくは消費者の方々も知らないでしょう。欧州では有機農産物のシェアーは増え続け、15%に達している。
それに加えて、最近特に、食の安全に関心を寄せる消費者も漸減し始めております。
メディアも既存価値観に忖度しており、栄養価とか健康に関する報道は組まれてはいるが、その内容は底が浅く、薄っぺらい。食の安全・健全性などに関する報道は激減しております。
現在は有機野菜生産農家には逆風が吹き始めております。

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これでは、益々新たな農業に関する産業が生まれてくる土壌は無くなり、日本の農業の構造改革は難しいでしょう。
農業を心出す若者がいたとしても、農業後継者が育つ環境が失われつつあることを憂慮しております。
ここしばらくは、内を固め、耐えていくしかないのかもしれません。
そうした時代、有機農業を越えた自然循環農業を推進して行こうとする「むかし野菜の邑」の存在意義を実感しているのですが、その難しさも痛感しております。
価値観を同じくする消費者の輪の拡がりと、特に若い消費者への啓蒙・啓発活動の重要性が問われているのではないかと思うのです。
日本の田園風景には、子供達の飛び跳ねる風景が一番似合う。