農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2019.12.4(晴れ)最高温度14度、最低温度4度

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12月初冬、ビニールトンネルが農園を覆った。今年は一ヶ月遅れてのトンネル張りとなった。この風景を見ると、ようやく冬になったのだと実感する。これから剥ぐったり、閉めたりの作業が続く。

 

2019.12.4  草木堆肥と完熟野菜の話

 銀行員時代、融資を担当し始めてから、順風満帆な融資先とは縁が無く、不思議と今にも生き尽きそうな会社ばかり寄ってきていたように思う。銀行員としては破格であったのか、何時しか、銀行上層部からは、再建屋・銀行やくざのレッテルを貼られていた。諦めや放り出すことのできない性格のため、悪戦苦闘を重ねている途中にも拘わらず、事業にようやく芽が出そうになってきた頃、後ろから矢が飛んできたり、社長の親族から横槍が入ったりで、事業再建屋を続けることにも意味を感じなくなってきていた。
次女が大学を卒業し、就職が決まったその月、辞表を提出した。同じ苦労するのなら、衰退していく地域や農業の活性化の方が、生き方としてはまともなのではないか、と思うようになっていた。
有機野菜及びその農産品の加工品などの商品化」をテーマとした有機生産農園をスタートさせた。

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除草作業を終えた2番の畑の夕景。空気は冷たく畑全体をピーンと張った静けさを感じる。それでもどこか穏やかで懐かしさとやさしさに満ちている。私はこの時季の農園が好きだ。

ここには、まだトンネルは張られていない。1月ともなると、氷点下の日々が続き、凍結防止にここも一部

トンネルに覆われる。

二番の畑は草木堆肥歴17年になり、プラチナ級の美味しい野菜が育つ。

有機と言えば、先ずは畜糞であり、油粕・米糠であり、魚腸・骨粉なども試してみた。
処が、どうしても野菜に生き生きとした味香りが乏しく、美味しくはならない。
これはどうやら窒素過多なのではないか、と疑い始め、江戸時代の文献を読んだり、子供の頃の野菜の作り方やかすかに残っていた草木堆肥の記憶を辿り、思い切って草木主体にした堆肥作りを始めた。
二年を経過したところから、野菜に深みと味香りが出始めた。何より、筋を感じなくなってきていた。手応えを得て、窒素分の多い肥料は一切絶った。畑に施肥するのは、草木堆肥一本と決めた。
畑の土は、草木堆肥によって年間約3~5センチほど、団粒化(ふかふか状態)が進む。ちなみに、草木堆肥歴17年の二番の圃場は歩けばバウンドしてくる。40~50センチ程の深さに団粒化が進んでいる証左である。
草木堆肥は一つの圃場で野菜が年間3~4回転する度に入れ込むため、入れれば入れるほど、野菜は美味しくなっていく。土壌は微生物層・菌糸層によって、年々耕されていく。雨が降った際に、時折、圃場がキノコに覆われていることがある。これが江戸時代の文献にあった「土が肥えていく」ということであった。
うれしかった。土が自然のままの状態に蘇ったということです。

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草木堆肥を切り返しした処(第一次発酵後、酸素を補給してやるため行う作業)

湯気が出ております。第一次発酵では、70度まで温度が上がり、二次発酵では50度に届く。木屑葉っぱ・草などの有機物が微生物・放線菌によって分解される際に、菌の増殖途上に熱が出る。白く見えるのが放線菌であり、残念ながら微生物は人間の目には映りませんね。草木には無限大の種類と量の微生物や放線菌が棲んでいる。

 

(美味しい野菜とは)
この話は多分に観念的な説明となっており、これだけでは、納得はいかないでしょう。
農園主は少ない知恵を働かせて考えた。先ずは、美味しい野菜とは何?から定義付けしてみた。
官公庁では、「美味しい」の定義は多分に個人差があり、定めようが無いとしているのだが・・

近頃は、やたら甘さだけを求めて美味しいと言っている人が多いようだ。果たしてそうだろうか。
甘いに越したことは無いが、個々の野菜にはそれぞれの個性がある。苦みの無い春菊などおそらく味も無く、食べられたものでは無い筈。
数年以上草木堆肥で土作りをした圃場で育った春菊は、苦みはあるが、特に軸には甘ささえ感じるし、春菊の独特の灰汁やえぐさは感じなくなる。私も春菊は苦手だったが、今では好物の一つになっている。
甘いだけのトマトは美味しいと言えるのだろうか?畑でもいで、口に入れたときの鼻にツンと来る味香りと酸っぱさがやってくる。そして最後に甘さというか旨みが口いっぱいに拡がる。
生食では無く、調理に使ってみれば、甘いだけのトマトの如何に美味しくないことか。

私は、野菜の美味しさをこのように定義した。


・程良い甘さ
・野菜の個性が光る味香り
・噛んでいるうちに口の中で溶けていく歯切れの良さ(筋を感じない)
・最後に旨み

では、このような野菜はどうしたらできるのか?
それを考えるには、野菜の生理について少し勉強する必要がある。

 

野菜が生長するには、窒素の力が必要である。
窒素分が圃場にあると、野菜の中にミトコンドリアと言う成長酵素(生育を促す)が生まれる。
この窒素分が圃場の中に過多状態になっていると、いつまでもこのミトコンドリアは増え続けてしまい、
大人になってもまだ成長し続けようとしてしまう。
野菜の内部にはデンプン及び炭水化物が増え続けて、その状態で収穫を行うのが化学肥料による慣行栽培や畜糞を使った有機野菜である。それを食すると苦みを感じてしまう。デンプンは苦いのです。
さらに窒素の力で急成長する野菜は細く、倒れないために繊維を多く作ります。食べると口の中に繊維が残り、子供さんなどは、飲み込むタイミングが分からず、野菜嫌いになっていくようです。

 

◇野菜には固有の味香りがある

草木堆肥は土壌を自然に近づけていきます。そのため、その土壌で育つ野菜はその野菜固有の性質を引き出してくれます。
現代の農業では、何を食べても同じ味がするというか、その個性を感じられなくなっております。
人参臭いから食べられないとか、セロリ臭いから嫌だとか、現代人は無味無臭に慣らされつつあります。
化学の力を使って無臭空間を作ったりしており、日本人の繊細な香り感覚や味覚が失われようとしております。しかも生活空間には化学物質が溢れており、次第に自然治癒能力なども損なわれていきます。

 

旨みとは、どうやらミネラル分と関係しているようです。
海の塩や岩塩は、食べたら辛いだけではなく、やや旨み(雑味)を感じます。
これはこれらの塩には、唯辛いだけの化学合成した塩化ナトリュームと違って、ミネラル分が多く含まれているからです。
野菜には個性があり、独特の香りや味がすると申し上げましたが、それでもやはり嫌な味香りはあるものです。その原因は、野菜の「灰汁やえぐみ」から来ているようです。
ミネラルバランスの良い草木堆肥(低窒素農法)によって育った野菜には、この灰汁やえぐみを感じません。その替わりに、旨みが出てきます。舌の付け根の部分で、感じるこの「えぐみ」や苦みが、旨みに変わっているのです。

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                   草木灰

剪定枝の破砕作業中、腕よりも大きな枝や葉っぱを選んだ後の細かい枝などは、燃やして草木灰とする。「むかしむかし、おじいさんが枯れ木に花を咲かせましょう」と言って灰を振りかけているむかし話しは、実は本当のことだったのです。

草木にもミネラル分はあるのですが、それを燃やすとさらに凝縮したミネラルの塊となります。このミネラルは、生命体の細胞の再生には欠かせないものであり、当農園は蛎殻・草木灰、そして草木堆肥とトリプルで圃場に常に補給している。

 

「完熟野菜」

草木堆肥によって土作りを永い間行うと、圃場には、微生物・放線菌によって自然循環機能(浄化機能)が働いて、ふかふかした団粒構造(砂状の土)となり、保気力(空気層)・保水力・保肥力のある土となります。
この土壌で育った野菜達は、肥料が無くとも草木堆肥によってもたらされる低窒素とミネラル分によって、根張り(無数の鬚根)が良くなり、基部がしっかりとし、茎が太く、葉っぱや実は厚く、繊維が張らず、歯切れ良く、肉厚に育ちます。
草木堆肥の窒素供給量は最初少なく、その間、野菜は窒素分を求めて沢山の根を張ろうとします。土中の栄養価(窒素・ミネラル等)を鷲掴みにするのです。
一ヶ月ほど経過(根や基部がしっかりしてきた頃)すると窒素分が増え始め、急成長を開始します。
二ヶ月ほど経過すると、今度は窒素の供給量が急速に減退します。
そうすると、成長酵素ミトコンドリア)の増殖が止まり、成長がゆっくりとなります。
野菜は生き残りたいので、自ら蓄えたデンプン・炭水化物を糖質・ビタミンに変換し、エネルギーに変えようとします。当然に野菜は甘くなります。
これが完熟野菜の原理です。さつまいも・果物などの追熟と同じなのですね。

ちなみに、慣行栽培のお米作りの現場では、穂が出始めると、追い肥えをするところもあります。出来高を上げるためですが、この米粒は大きいばかりで、美味しくありません。完熟を妨げていると言う訳ですね。

 

この野菜の成長に合わせた肥料分の調整能力は、ミネラル分がある草木堆肥(低窒素)以外には成し遂げられない。先人達の叡智は計り知れない。野菜が完熟し美味しくなっていく生理現象をむかしの農業者は科学的な知識が無くとも知っていたことになります。
江戸時代に残された農業本に書かれていたことは、難解であったけれども、このことを記していたのかもしれません。

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年末年始と農園は10日間ほどの年に一回のお休みを頂く。そのお休み前に、毎年やや増量の年越し野菜達を皆様へお送りしている。その際に、色々とあるけれども、欠かせない野菜の一つに白菜・キャベツがある。何とか年末に間に合わせるためにこの二番の畑(プラチナ級)に、育てている。

噛むと口の中で溶けていく。繊維を感じさせない歯切れの良さが、本当の野菜の美味しさなのかもしれない。

野菜にも命があります。それを食べるときに貴方の命を頂き、私の命を繋いでいきますと言うのが、「頂きます」なのですね。

 

最後に美味しい野菜とは、栄養価が高いと言うことを意味しているのです。
私達スタッフと定期購入して頂いている230余名のお客様、そして、最近始めた農園マルシェ(直販)に来て頂くお客様達しかこのむかし野菜には接していない。
いにしえの味香りのする野菜をそこに集まる人達しか食べてはいない。随分とむかしの人達は美味しい野菜を食べていたんだな!と思うと、なんだか食卓が楽しくなる。そんなメールがよく届く。