2019.9.25(晴れ)最高温度30度、最低温度17度
稲穂染む曼珠沙華咲く里の秋
去年は実り多く随分と楽をさせてもらったが、今年の秋は何となく不安が頭をよぎる。
毎年のことだが、年々ひどくなってくる害虫の発生と気候の不安定化が定着しているような気がする。
きれいに発芽した人参
隣は、第一陣の白菜の畝、さらにセロリの幼苗。今の処、順調に育ってくれている。
APU・九州大学・関西の大学などの混成チームで「農業の未来を考える」と言うサマーキャンプが開かれ、当農園に学生たちが見学に訪れた。
東アジアや日本の大学生が混じっているため、同時通訳でセミナーを開いた。
久しぶりに大学生たちと接したが、皆、高慢で、畏れを知らず、幼く、そしてかわいい。私も若い頃はそうであったのだろう。
それでも、今時の学生気質が垣間見えて、うちの若いスタッフ達の気質が学べたような気がしている。
唯、一つ言えることは、訪れた若い学生に比べて、うちのスタッフ達は随分と大人に見えてきた。現実社会が見えてきて、それなりに迷い悩み苦しんでいるのだろう。
台風17号により、折角ゆったりと伸びあがってきていた九条葱を吹き倒してしまった
この畝は畝揚げによりその手直しを終わったばかり。
(日本の農業の原点)―2
有機農業の研修会・説明会が県及び有機農業研究会によって催された。
私もその会に名目上所属していたため、誘われ、参加した。
その会に招かれていたある学者が、最後の方で、有機農業に対してこう切り出した。
「有機農業も窒素過多になり易く、かつ、土壌が汚染され、慣行農業より、必ずしも安全とは言えない」
その際参加していた数人の有機農業者(有機JAS認定農場)が猛反論していた。
その内の一人が私の方をちらちら見て、「何故佐藤さんは反論しないのか」と言う目で睨んできた。
仕方なく、私もその議論に加わらざるを得なくなり、こう切り出した。
「貴方が言われていることは、こう言うことですか?」と前提条件を出して反論した。
「現在の有機野菜は、畜糞主体になっており、さらには、米糠油粕などの高窒素栽培となっている」
「そうであれば、逆に適正な化学肥料を使った慣行農業の方が、窒素過多に成り難く、つまりは、硝酸態窒素過多の土壌に成り難い」
「それでも、有機農家の方は、危険な農薬を極力避けてより安全な野菜を生産しようとしており、その努力と労力を貴方は知らない。机上の空論では有機農家の方が怒るのもやむを得ないでしょうね」
「貴方の言われることも一理はあります。配合飼料で育てられた家畜の糞には、抗生物質及び薬が多く含まれており、その畜糞を大量に投下され続けた土壌は、微生物や放線菌も棲めなくなっており、次第に汚染されて行き塩基濃度も高くなっていきます。それを私は、有機肥料の化学肥料化と称しております。
その救済策は、畜糞だけの肥料ではなく、微生物や放線菌の餌となる自然の草や葉っぱなどを加えたより低窒素の堆肥を施肥することによって、より低窒素土壌を育てることでしょう」
この最後の私の発言によって、学者も有機農家の方々も黙らざるを得なくなってしまい、この会の雰囲気を著しく壊してしまった。
有機JAS規程が制定された以降は、有機農業とは言っても、以前の持続可能な農業であった自然循環農業には戻れなくなってしまっているのかと痛切に感じた一幕でした。
それでも消費者はそんな議論は知らない。勝手に有機JAS規程を定めた国も有機農業がそれほど深刻になっていることも知らない。有機農業者は様々な壁にぶち当たり、理想と現実の狭間で、もがいている。
欧州のオーガニック農業は、国が監視していると言うよりも、そこに直接訪れる消費者(市民)自体がその圃場の有り様を見ている。つまりは、欧州の有機農業は市民参加型で行われており、日本のように、法令と実態が乖離している有機農業では無い。
当農園での自然栽培は、市民参加型を目指しており、害虫被害の実態や土作りの実情を見てもらうようにしており、なおかつ、健全で美味しい農産物作りのセミナーや料理体験会を定期開催して啓発・啓蒙活動を行っている。
消費者も有機農業の実態を、如何に手間を掛けた農産物作りを行っているかを、知ってもらい、その労苦に対する代償=購買への評価をしてもらいたいと願っている。
7番の圃場。蕪系の種を蒔いて3週間後。害虫が次第に葉っぱを食い荒らし始めている