農園日誌ーむかし野菜の位置は?PARTⅡ

26.7.2(水曜日)曇り時折小雨、最高温度28度、最低温度21度
 
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梅雨の晴間、慌しく、一本葱の植え付け用の畝立てをしている後藤のけんちゃん。
 
彼もこちらへ来て早、六ヶ月を過ぎようとしている。九重にて農業体験をしてきてはいたが、米作りがほとんどで、給料なし、宿泊・飯付きの農業体験。
これでは将来の展望が見えないというので、当農園に滑り込んだ。
今ではもう何年もうちに居るような顔をして畑仕事にいそしんでいる。勿論給料付き
で、連日頑張っている。お昼時には感心に弁当を作ってくるが、うちの奥さんのおかずを当てにしているようで、良く食うこと良く食うこと・・およそ月に一回は肉を食う日があり、勿論私の驕りですが、もう喰えないというまで、食べる。
腰つきは多少へっぴり腰ながら、レイキの扱いが様になってきたようだ。
何分にも露地栽培・草木堆肥(むかし農法)は覚えることが多く、実作業を最低三年はしないと身につかない。
まして、気候を読み、何を何時植えて、年間100種類にのぼる野菜の種蒔き・育苗・管理・出荷などの年間生産計画を立てる能力を身に付けるとすれば、よっぽど頑張ったとして5年は要する。
農場の経営を学び、お客様とのやりとりなどのコミュニケーション能力や市場の動きを読むマーケティング能力を習得するにはさらに2年を要する。
画してようやく自立できることになる。
彼らには、自分で創意工夫することよりも、先ずは真似ろ!、そして盗め!さらには
農園を乗っ取れ!とけしかける。本音は早く乗っ取ってくれないか!と思う。
 
このように彼らを育てるまでに、と言うより、独自の販売戦略や特定マーケットをお客様として、自分の足で立つまでには、農園主の手助けや生活支援(給料などの形で)が必要となる。残念ながら、今の日本にはそのような支援をしてくれる組織は
おろか、個人農園主も圧倒的に少ない。
このことも農業の後継者不足に拍車をかけている大きな要因となる。
 
先日、農園を訪れた二人の内のもう一人の男子(40代になった)次郎さんから、
卵が届いた。一個150円の卵だそうだ。
その話題で農園では話が盛り上がる。「一個500円の苺だのトマトだのと貴方達は
そのような野菜を作りたい?」と聞くと、「食べては見たいけど、消費者に対して
農業者としての見識が問われ、嫌ですね」と、
農園主「そうだね。農産物は日常の生きる糧だね。毎日の食事をバカにしてはいけない。そんな農産物を欲しがるお客様は家には要らない。確かにうちの野菜は他の野菜と比べて二倍以上の価値があるとは思う。但、我々は各ご家庭に毎日の食事を提供しているのであり、価格は日常でも手の届くリーズナブルな価格が望ましい
その分、農人達が労力をかければ済む事。それが農人の矜持であり、誇りでもある」などと・・
 
下関にて母親との二人暮らしで、そこを離れて農業を目指すことが難しいようだ。
かれは養鶏をやりたいとのこと。農園スタッフ全員で支援するから、と勧めるも、
前に進めない現実がある。真に惜しい!
彼の一言が今でも耳に残る。
「こんなに若い人を育ててくれるところはない!」と・・かれは後藤君の先輩。
嬉しいことを言ってくれるが、それが農業現場の現実であることが悲しい。
別れる際に、待っているから、いつでもおいで!と声をかける。
 
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かごめ!かごめ!をしているようにいじけて見えるが、
貴重な梅雨の晴間にじゃがいも堀りをしているところ。
今日はこの大きなトレイに
6杯。この後、選別作業が待っている。
彼女達はいずれも二児・三児の母。お陰さまで畑は、
孫達が一杯育っている。
そのかまびかしいこと・・・
育児の傍ら、畑・出荷作業の貴重な戦力。
 
PARTⅠでは旬菜と完熟野菜について語ったが、こんなもの野菜ではないとでも
言いたげなそのシェフの思いには、申し訳なかったが、実はその日、7軒のレストランに同じ野菜を送っている。他の6軒のレストランでは、むかし野菜が評判になっているようで、しっかりとお客様からの評価を受けており、お店も大きくなっている。
それらのレストランでは例えば、表皮に土色の虫食い痕があるサラダ蕪はこの時季
皮を薄く剥いて使ってくれている。
そのうち、最近になってお客様になられたとあるレストランのシェフからはこんな評価が出ている。
「何だか懐かしい味がする。面倒臭いが我慢している」とは最初の評価、
次には、「確かに水に晒して保管すれば日持ちがすこぶる良い」
さらに次には、「むかし野菜は、料理人があまり手をかけないことだね」と・・・
そこの女性スタッフからの密告メールでした。
お客様の評判はと聞くと、その女性スタッフは、「日々が勉強の毎日です。でも最近になって、これ、佐藤自然農園の野菜よね。美味しいねと言ってくれ始めました。
うれしい!」と・・真にありがたい。ここにむかし野菜の真の美味しさを理解してくれる
人が少なくとも一人おられることが、もしかして、その気難しいシェフもそうかな!
私達の心の支えと誇りになっている。
 
脱線してしまいました。話を戻そう。
 
有機野菜も含めて市場流通野菜の99%が走り旬か若しかして中旬である。
さらに、流通市場では、低成長の野菜はほとんどない、という現実がある。
何故なら、低窒素栽培では野菜がゆっくりと根を張り、茎を伸ばし、成長が遅い分、青っぽくピンとした姿にはなりにくいからです。
しかも、成長が遅いため育つ間に様々な外見リスクが伴います。気候の変動・虫害・太陽と雨風により、野菜には生傷が絶えません。
高窒素栽培(化学肥料及び畜糞主体)では、成長スピードが早く、まだ成長している段階での出荷となります。これは野菜の商品規格にはまらなくなるからです。
勿論、最大の理由は外見重視ですが・・このため、多くの農家では極力ハウス栽培に行き着くわけです。これは多くの有機農家でも例外ではない。
高成長の野菜は、当然に切った途端に日持ちが悪くなる。
 
低窒素栽培の場合、葉野菜では2~3カ月かかり、根菜では3~4ヶ月を要します。
一方、高窒素栽培では、葉野菜は1カ月半~2ヶ月、根菜では2~3ヶ月で出荷します。(勿論季節で異なる)ハウス栽培ではさらに半月ほど早くなる。
低窒素栽培野菜の価格は慣行栽培野菜と比してその時間と労力及びリスクからみて1.5~2倍してもおかしくはない。
(低窒素栽培とは現在の有機野菜とは必ずしもイコールではなく、自然農や畜糞肥料を極力使わない草木主体の農法のこと、当然に手間と労力がかかる)
 
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この小さな木にどうして
こんなに大きなパプリカ
の実を付けるのか?
野菜の生命力と言うか、
子孫を残そうと必死に
生きているのか?
畑をやっていると生命の
神秘に触れる機会が
多く、人間の小ささと
傲慢さが目に付く。
自民党の安部総裁の
自己満足のため、
振り回され続けている
日本という小さな国の国民として、若い人たちの無責任な感覚だけで評価する迎合姿勢が目に付いてその思いの浅さに乗ずる一国の総理大臣の見識の低さがことさらに目に付き、子供達の将来の暗さを思うと暗澹たる気持ちになるのは私だけでしょうか?
 
もっと詳しく説明すると、
 
高窒素土壌では、当然に土壌に窒素分が多く、成長が早い分、根を張らずとも
茎が細くとも成長をし続けることによって、野菜は倒れないように、繊維質が強く
体内はデンプン質に満ち溢れる。このため、みてくれは良いが、噛み切れず、
口に繊維が残り、デンプンが多いため、苦味があり、ミネラル分不足により、
味香り・旨み共に乏しくなる。
低窒素土壌では、土中に窒素分が乏しく、野菜は窒素を求めて根を張りめぐらせ
茎は太く、繊維はさほど強くない。やがて土壌に窒素分がなくなると、野菜は力を無くし、自ら生き残ろうとして野菜の体内に蓄えられたデンプン質を分解し始め、
自らの栄養源とするために、糖質やビタミン質に変換しようとする。
これを野菜の完熟作用と言う。
完熟した野菜は、そのままでは日持ちが悪いが、水に晒して水分を補給してやると
(10日程度は)日持ちがよくなるという特性が出る。
当然に旨み・味香り・栄養価は走り旬野菜とは比較にならないほど高い。
但し、これも当然に野菜の見てくれは悪くなり、市場では相手にされなくなる。
このようにして完熟野菜はマーケットから姿を消すことになった。
残念なことに、完熟野菜は野菜を飾りとして、あるいは、味を付ける素材としてしか扱わないことが多い飲食業界の既存概念では使いこなすことが難しい。
 
むかしからの農家では、成長途上の見え形の良い野菜を市場へ出荷して、畑に残されたこの完熟野菜を食べる。画して美味しい完熟野菜は農家のみ知るところとなった。めでたし!めでたし!とは笑えない現実がここにあります。
 
男子スタッフ二名は明日、福岡の取引先のレストランを研修として訪問させる。
当然にその食事代などの経費は農園持ちです。
感想文でも書かせるか?
 
次回、PARTⅢでは、マーケティングマップを使い、市場の消費者心理の仕組みや
有機野菜の現状までを語り、「美味しい野菜」をいかに後世に残していけるのかなど
皆様と一緒に考えてみたい。
 
→最終章へ続く