農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2019.12.11(水曜日)曇り、 最高温度15度、最低温度6度

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                 大豆の収穫風景

 

雑草に覆われているため、草刈り機で大豆と草を刈り取り、大豆だけを全員で拾い集め

脱穀機に掛ける。

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慣行農業(除草剤・化学肥料・農薬使用)ならば、一反に付き3~4袋(一袋30kg

採れるものが、その半分1.5袋程度しか採れない。雑草に負けてしまうのです。

自然栽培と簡単に言うけれど、収量は少なく、リスクと労力の塊となる。

 

 

2019.12.11  「麦物語」-1


今年も残りわずか。草木堆肥によって育てた約一町二反(3,600坪)の穀類畑には、大豆が「ここよ」と言っているかのように雑草に埋もれてわずかに顔を出している。
枝や葉っぱも程良く枯れて小さな実が今にもこぼれそうに見える。
先ずは、雑草にも負けず育ってくれた愛しい大豆を収穫してやらねばならない。
慣行栽培と違って、化学肥料はおろか、除草剤・農薬も一切使ってはいないため、雑草の勢いが強い。
しかも、面積が広く除草作業は難航する。収量は慣行栽培のほぼ半分程になる。
おそらくは、草木堆肥施肥、除草剤・農薬を使わない穀類生産は当農園だけかもしれない。それほどに貴重な自然栽培大豆であり、麦です。

 

※小麦アレルギーは、ハイグルテン使用に品種改良を繰り返したことが大きな要因ではあるが、農園主は、穀類生産には欠かせないこの除草剤の慢性的な使用も大きな要因では無いかと疑っている。
その意味では、大豆アレルギーも全く同じである。

 

収穫後は、性能の悪い色彩選別器で選り分け、その後手作業(目視)でさらに選別する。
来年初め頃からは、これも平野さんの自然栽培のお米を蒸して、米麹を作る。3日ほどして、麹の花が咲いたら、今度は大豆を蒸して、海の塩を使って味噌を仕込まねばならない。
原料全てが自然栽培と言う味噌も商業的生産では、全国でも当農園しか無いと思われる。
嫌みの無い深い味わいが、全てのお客様の支持を得ている。大豆が自然栽培だけに多くは採れないため、現状では、一回当たり、300gしか送れない(年に6回が限度)。
今年は面積を広げ、お一人様、500gはお送りできるかもしれない。

 

最近、ある統計データが発表された。日本人は癌による死亡が多いとのこと。特に朝食メニューの味噌汁・漬物・干物が癌多発の要因では無いかと言う記述があった。つまりは、塩分過多となっているためであると結論付けていた。
とんでもない推論であり、今時朝食に絵に描いたような味噌汁・漬物・干物の朝食を毎日摂っておられる人はそんなに多いわけでは無い。それでも癌発生が多いのには、他に別の要因があるはずである。
日本ほど、食品添加物に溢れた国は無い。約3,800種類の食品添加物が国によって認められている。米国の二倍強となっている。さらには、お米を始め、穀類栽培に慣行的に使われ続けている除草剤も実に怪しい。むしろこれら生産・加工の両面からの化学物質使用が癌発生の要因として疑っているのは、私だけだろうか・・・

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大豆を収穫し終えた暮れなずむ穀類畑に、草木堆肥を撒いている。煙は堆肥の発酵熱です。この時季、使用量が増えるため、草木堆肥を作りこなさないため、作ったら1~2ヶ月内に使ってしまう。堆肥を撒くと一緒に、苦土石灰・焼き灰・蛎殻も撒く。

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ラクターで耕耘しながら、麦の畝幅に揃え、同時に麦の種を蒔く。

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種を蒔きながら、管理機で、土寄せを行う。

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翌日の夕方、ようやく一枚の麦の圃場が完成した。来年の1月、芽を吹き、麦踏み、さらに除草のため、管理機で土寄せを行う。

 

そのことはさておいて、大豆の収穫を終えた圃場に、早速に堆肥を入れて麦作りの準備をしなければならない。できれば年内に中力小麦・裸麦・古代もち麦の3種類の麦蒔き作業を終えたい。
これは女性陣も含め農園スタッフ全員での作業となり、年末まで、野菜の生産管理もあるため、この麦作りに忙殺される。
これらの穀類は、主に加工品となって、定期購入のお客様の元へ届けられるか、農園マルシェに来て頂くお客様にお買い上げ頂くことになる。

中力小麦は筑後イズミと言う九州での気候適性が高い品種であり、味も良く、なかなかの良品である。
裸麦は大麦とは異なり、収穫脱穀の際に、ほとんどの殻は飛ばされ、玄麦状態となる。
このいずれも、目安では50%精麦としており、栄養価を大きく損なわないようにビタミンB類をかなり残している。そのため、真っ白にはならない。その分、味香り・栄養価ともに高い。
古代もち麦は、当初、1リットルを分けてもらい、3年がかりで量を増やしていった。
この古代麦は、弥富麦と言って、日本古来から作られていた原始麦であり、味香りが特に高く、おそらくは、小麦アレルギー対策としては相当に有効であると考えた。
そのため、実験として、小麦アレルギーに子供さん達に加工品(野菜饅頭・やせうま・石垣餅・パンなど)を作って、試食してもらった。今の処、約1名の子供さんに少しだけアレルギー反応が出た。
今では、その子供さんもこの古代麦ブレンドだけは、食べられるようになった。

 

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味噌を仕込み、約一年醸造発酵させ、開封する際、わずかばかり緊張が走る。

黴や悪性菌が出ていないか、心配していたが、まろやかな美味しい味噌が今年も出来ていた。ホッとする。

 

(これらの穀類を使った加工品)

無添加醸造味噌 → 大豆(50%) : 自然農米(50%) & 海塩
原料全てが自然栽培と言うものは市場には無く、人気NO1の加工品となっている。

自家焙煎黄な粉 → 大豆100%
自家焙煎の黄な粉は、出荷直前の週に焙煎し、味良く、香り高い大豆を感じる一品となっている。

蒸し大豆    → 大豆100% 竈で蒸し上げる
蒸し大豆は竈で大量に蒸し上げるため、味わい深く、特に子供さんに高い支持を得ている。

麦ご飯セット  → 裸麦(90%) : 弥富もち麦(20%)
五穀米などと違って、麦ご飯セットは、ご飯の味を一流に押し上げてくれる。

自家焙煎麦茶  → 裸麦100%
麦茶はむかしの農家しか知らない本物の麦茶になっており、冷・温両方で楽しめる

ブレンド粉   → 小麦粉(90%) : 弥富麦(10%)
アレルギーにも対応可能であり、むかし野菜の邑での直販所のお菓子作りには不可欠となっている。
ブレンドの率は、試行錯誤の上、ようやく落ち着き、このようになった。

今では、これら穀類加工品は、農園の一つの顔として定着し始めている。

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麦ご飯セット; 裸麦8:弥富もち麦2のブレンド。(紫がかった色が古代麦)

この麦ご飯セットでアレルギーが出たと言う例は今まで無かった。

大変に失礼な言い方ですが、そんなに有名な銘柄米でなくとも、この麦セットを加え、炊飯することによって、一流の味香り・旨みがご飯から漂ってくる。

 

但、ブレンド粉については、むかしおやつ・焼き菓子・饅頭・お焼き・ケーキ・パン・コロッケなど、幅広く商品開発を進めているが、グルテンが少なく、ベーキングパウダーも使わないために、所謂市販のふわふわ状態にはならない。この古代麦がくせ者であり、纏まりが悪く伸び難く水分量の調整が難しく、今でも試行錯誤の繰り返しである。それでもこの深い麦の味香りは何としてでも市場に出したい。
これについては、次回の麦物語-2でお伝え致します。

農園が目指している「健全で健康的な食作り」のテーマはかなりハードルが高いのが実情である。
唯、この麦物語は、自然素材の持つ素朴さと深い味わい、そしてやさしさについては、かなり高いレベルに近づいていることは間違いが無い。
これは大量生産では無く、都度製造する事の出来る小規模生産であるからできるのです。
最もそれだけ手間は掛かることになるのですが・・・

かっては、これら穀類の粉は、石垣餅・流し焼き(クレープのようなもの)・やせうまなどの「むかしおやつ」として、おばあちゃん、そして、お母さんの味の代名詞になっていた。
今では、無添加健康食品とでも呼ぶのかもしれないが、そんなものでは無い素朴さと美味しさがある。

 

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春4月頃、一斉に麦の穂が出てくる。この穂を見るとほっとする。と同時に何故か心が豊かになる。

命の糧ですね。農耕民族の血なのでしょうか。

農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2019.12.4(晴れ)最高温度14度、最低温度4度

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12月初冬、ビニールトンネルが農園を覆った。今年は一ヶ月遅れてのトンネル張りとなった。この風景を見ると、ようやく冬になったのだと実感する。これから剥ぐったり、閉めたりの作業が続く。

 

2019.12.4  草木堆肥と完熟野菜の話

 銀行員時代、融資を担当し始めてから、順風満帆な融資先とは縁が無く、不思議と今にも生き尽きそうな会社ばかり寄ってきていたように思う。銀行員としては破格であったのか、何時しか、銀行上層部からは、再建屋・銀行やくざのレッテルを貼られていた。諦めや放り出すことのできない性格のため、悪戦苦闘を重ねている途中にも拘わらず、事業にようやく芽が出そうになってきた頃、後ろから矢が飛んできたり、社長の親族から横槍が入ったりで、事業再建屋を続けることにも意味を感じなくなってきていた。
次女が大学を卒業し、就職が決まったその月、辞表を提出した。同じ苦労するのなら、衰退していく地域や農業の活性化の方が、生き方としてはまともなのではないか、と思うようになっていた。
有機野菜及びその農産品の加工品などの商品化」をテーマとした有機生産農園をスタートさせた。

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除草作業を終えた2番の畑の夕景。空気は冷たく畑全体をピーンと張った静けさを感じる。それでもどこか穏やかで懐かしさとやさしさに満ちている。私はこの時季の農園が好きだ。

ここには、まだトンネルは張られていない。1月ともなると、氷点下の日々が続き、凍結防止にここも一部

トンネルに覆われる。

二番の畑は草木堆肥歴17年になり、プラチナ級の美味しい野菜が育つ。

有機と言えば、先ずは畜糞であり、油粕・米糠であり、魚腸・骨粉なども試してみた。
処が、どうしても野菜に生き生きとした味香りが乏しく、美味しくはならない。
これはどうやら窒素過多なのではないか、と疑い始め、江戸時代の文献を読んだり、子供の頃の野菜の作り方やかすかに残っていた草木堆肥の記憶を辿り、思い切って草木主体にした堆肥作りを始めた。
二年を経過したところから、野菜に深みと味香りが出始めた。何より、筋を感じなくなってきていた。手応えを得て、窒素分の多い肥料は一切絶った。畑に施肥するのは、草木堆肥一本と決めた。
畑の土は、草木堆肥によって年間約3~5センチほど、団粒化(ふかふか状態)が進む。ちなみに、草木堆肥歴17年の二番の圃場は歩けばバウンドしてくる。40~50センチ程の深さに団粒化が進んでいる証左である。
草木堆肥は一つの圃場で野菜が年間3~4回転する度に入れ込むため、入れれば入れるほど、野菜は美味しくなっていく。土壌は微生物層・菌糸層によって、年々耕されていく。雨が降った際に、時折、圃場がキノコに覆われていることがある。これが江戸時代の文献にあった「土が肥えていく」ということであった。
うれしかった。土が自然のままの状態に蘇ったということです。

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草木堆肥を切り返しした処(第一次発酵後、酸素を補給してやるため行う作業)

湯気が出ております。第一次発酵では、70度まで温度が上がり、二次発酵では50度に届く。木屑葉っぱ・草などの有機物が微生物・放線菌によって分解される際に、菌の増殖途上に熱が出る。白く見えるのが放線菌であり、残念ながら微生物は人間の目には映りませんね。草木には無限大の種類と量の微生物や放線菌が棲んでいる。

 

(美味しい野菜とは)
この話は多分に観念的な説明となっており、これだけでは、納得はいかないでしょう。
農園主は少ない知恵を働かせて考えた。先ずは、美味しい野菜とは何?から定義付けしてみた。
官公庁では、「美味しい」の定義は多分に個人差があり、定めようが無いとしているのだが・・

近頃は、やたら甘さだけを求めて美味しいと言っている人が多いようだ。果たしてそうだろうか。
甘いに越したことは無いが、個々の野菜にはそれぞれの個性がある。苦みの無い春菊などおそらく味も無く、食べられたものでは無い筈。
数年以上草木堆肥で土作りをした圃場で育った春菊は、苦みはあるが、特に軸には甘ささえ感じるし、春菊の独特の灰汁やえぐさは感じなくなる。私も春菊は苦手だったが、今では好物の一つになっている。
甘いだけのトマトは美味しいと言えるのだろうか?畑でもいで、口に入れたときの鼻にツンと来る味香りと酸っぱさがやってくる。そして最後に甘さというか旨みが口いっぱいに拡がる。
生食では無く、調理に使ってみれば、甘いだけのトマトの如何に美味しくないことか。

私は、野菜の美味しさをこのように定義した。


・程良い甘さ
・野菜の個性が光る味香り
・噛んでいるうちに口の中で溶けていく歯切れの良さ(筋を感じない)
・最後に旨み

では、このような野菜はどうしたらできるのか?
それを考えるには、野菜の生理について少し勉強する必要がある。

 

野菜が生長するには、窒素の力が必要である。
窒素分が圃場にあると、野菜の中にミトコンドリアと言う成長酵素(生育を促す)が生まれる。
この窒素分が圃場の中に過多状態になっていると、いつまでもこのミトコンドリアは増え続けてしまい、
大人になってもまだ成長し続けようとしてしまう。
野菜の内部にはデンプン及び炭水化物が増え続けて、その状態で収穫を行うのが化学肥料による慣行栽培や畜糞を使った有機野菜である。それを食すると苦みを感じてしまう。デンプンは苦いのです。
さらに窒素の力で急成長する野菜は細く、倒れないために繊維を多く作ります。食べると口の中に繊維が残り、子供さんなどは、飲み込むタイミングが分からず、野菜嫌いになっていくようです。

 

◇野菜には固有の味香りがある

草木堆肥は土壌を自然に近づけていきます。そのため、その土壌で育つ野菜はその野菜固有の性質を引き出してくれます。
現代の農業では、何を食べても同じ味がするというか、その個性を感じられなくなっております。
人参臭いから食べられないとか、セロリ臭いから嫌だとか、現代人は無味無臭に慣らされつつあります。
化学の力を使って無臭空間を作ったりしており、日本人の繊細な香り感覚や味覚が失われようとしております。しかも生活空間には化学物質が溢れており、次第に自然治癒能力なども損なわれていきます。

 

旨みとは、どうやらミネラル分と関係しているようです。
海の塩や岩塩は、食べたら辛いだけではなく、やや旨み(雑味)を感じます。
これはこれらの塩には、唯辛いだけの化学合成した塩化ナトリュームと違って、ミネラル分が多く含まれているからです。
野菜には個性があり、独特の香りや味がすると申し上げましたが、それでもやはり嫌な味香りはあるものです。その原因は、野菜の「灰汁やえぐみ」から来ているようです。
ミネラルバランスの良い草木堆肥(低窒素農法)によって育った野菜には、この灰汁やえぐみを感じません。その替わりに、旨みが出てきます。舌の付け根の部分で、感じるこの「えぐみ」や苦みが、旨みに変わっているのです。

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                   草木灰

剪定枝の破砕作業中、腕よりも大きな枝や葉っぱを選んだ後の細かい枝などは、燃やして草木灰とする。「むかしむかし、おじいさんが枯れ木に花を咲かせましょう」と言って灰を振りかけているむかし話しは、実は本当のことだったのです。

草木にもミネラル分はあるのですが、それを燃やすとさらに凝縮したミネラルの塊となります。このミネラルは、生命体の細胞の再生には欠かせないものであり、当農園は蛎殻・草木灰、そして草木堆肥とトリプルで圃場に常に補給している。

 

「完熟野菜」

草木堆肥によって土作りを永い間行うと、圃場には、微生物・放線菌によって自然循環機能(浄化機能)が働いて、ふかふかした団粒構造(砂状の土)となり、保気力(空気層)・保水力・保肥力のある土となります。
この土壌で育った野菜達は、肥料が無くとも草木堆肥によってもたらされる低窒素とミネラル分によって、根張り(無数の鬚根)が良くなり、基部がしっかりとし、茎が太く、葉っぱや実は厚く、繊維が張らず、歯切れ良く、肉厚に育ちます。
草木堆肥の窒素供給量は最初少なく、その間、野菜は窒素分を求めて沢山の根を張ろうとします。土中の栄養価(窒素・ミネラル等)を鷲掴みにするのです。
一ヶ月ほど経過(根や基部がしっかりしてきた頃)すると窒素分が増え始め、急成長を開始します。
二ヶ月ほど経過すると、今度は窒素の供給量が急速に減退します。
そうすると、成長酵素ミトコンドリア)の増殖が止まり、成長がゆっくりとなります。
野菜は生き残りたいので、自ら蓄えたデンプン・炭水化物を糖質・ビタミンに変換し、エネルギーに変えようとします。当然に野菜は甘くなります。
これが完熟野菜の原理です。さつまいも・果物などの追熟と同じなのですね。

ちなみに、慣行栽培のお米作りの現場では、穂が出始めると、追い肥えをするところもあります。出来高を上げるためですが、この米粒は大きいばかりで、美味しくありません。完熟を妨げていると言う訳ですね。

 

この野菜の成長に合わせた肥料分の調整能力は、ミネラル分がある草木堆肥(低窒素)以外には成し遂げられない。先人達の叡智は計り知れない。野菜が完熟し美味しくなっていく生理現象をむかしの農業者は科学的な知識が無くとも知っていたことになります。
江戸時代に残された農業本に書かれていたことは、難解であったけれども、このことを記していたのかもしれません。

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年末年始と農園は10日間ほどの年に一回のお休みを頂く。そのお休み前に、毎年やや増量の年越し野菜達を皆様へお送りしている。その際に、色々とあるけれども、欠かせない野菜の一つに白菜・キャベツがある。何とか年末に間に合わせるためにこの二番の畑(プラチナ級)に、育てている。

噛むと口の中で溶けていく。繊維を感じさせない歯切れの良さが、本当の野菜の美味しさなのかもしれない。

野菜にも命があります。それを食べるときに貴方の命を頂き、私の命を繋いでいきますと言うのが、「頂きます」なのですね。

 

最後に美味しい野菜とは、栄養価が高いと言うことを意味しているのです。
私達スタッフと定期購入して頂いている230余名のお客様、そして、最近始めた農園マルシェ(直販)に来て頂くお客様達しかこのむかし野菜には接していない。
いにしえの味香りのする野菜をそこに集まる人達しか食べてはいない。随分とむかしの人達は美味しい野菜を食べていたんだな!と思うと、なんだか食卓が楽しくなる。そんなメールがよく届く。

 

農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2019.11.27(水曜日)曇り、最高温度19度、最低温度12度

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             定植を待つ秋野菜の苗達

 

今年の気候は明らかにおかしい。温暖化はとりかえしのつかない程進んでいるようだ。

11月初旬から、一ヶ月ほど雨が降らず、一見穏やかな気候が続いた。本来は、この時期は大陸の寒気団の南下と太平洋高気圧(暖気)のせめぎ合いが起こる季節。

それがようやく11月下旬頃からようやくそのせめぎ合いが始まった。

そのために、秋雨前線が停滞し、週一で天気が目まぐるしく変わってくるこの季節特有の気候となってきた。秋野菜にとっては、成長を促す待望の雨をもたらしてくれた。

そこで、農園主は考えた。

この冬は暖冬傾向が続くとすれば、冬の白菜の種を蒔いても、あるいは、冬の人参の種を蒔いても成長してくれるのでは無いかと・・

このように、通常の季節と毎年変化してくる気候に対して、現在の露地栽培の農業者は知恵を巡らせていかねばならない。

 

2019.11.26  日本古来からの草木堆肥は何故消えた

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                堆肥作りの風景

除草した草をベースに、配合飼料を食べさせていない放牧牛糞を重ね、その上に剪定枝の破砕屑と葉っぱを置き、トラクターで混ぜ合わせた処。この後、タイヤローダーにて2メートルほどの高さに積み上げ、微生物・放線菌の力で発酵を促す。

 

 会社を辞めて農業を心出す前に、栃木県から関東周辺・長野・岐阜などを回って、むかし農法を探し回ったことがある。農業雑誌を参考にしたのだが、残念ながら私の意に叶う農業はついに見つけられなかった。その後、偶々、東京に監査の仕事で行っていた時に、レンタカーを借りて埼玉の川越の芋農家を探してみようと試みた。
埼玉川越は、柳原吉保が大名に任じられた際に、稲作りが難しい関東ローム層の地で、さつまいもを奨励していた。空っ風が強く吹くため、畑と畑の間に、防風(砂)林を作ることを指導したそうだ。
その落ち葉を利用して、葉っぱ堆肥を作っていたとの記述が残っていた。
その葉っぱ堆肥を探しに探し、諦めて道路脇駐車場に車を止めていた時に、ふっと横を見ると、葉っぱが山のように積み上げられていたではないか。ようやく見つけた。
早速、直売所を尋ね、葉っぱ堆肥を見せてもらうことにした。
今では、この葉っぱ堆肥を作っている処は二軒しかないそうだ。地下に数メートルの横穴を掘り、大量のさつまいもが貯蔵してあった。
今では、全国に有名な川越芋のブランド(品質)を守っているのは二所帯しか無い。
おじいちゃんにお聞きすると、このようにおっしゃった。「うちは、主に関東以北のお客様に定期的にお届けしている。一年間にさつまいも一作しか作らない。他の野菜を植えると肥料が必要となり、そうなると、サツマイモの味が落ちてしまう。むかしからのお客様の信頼を裏切れないから!」
後にも先にも、今でも、当農園の他に、草木堆肥を使っている農家はその一軒しか知らない。25年経過した現代でもその農法が続いていることを願う。

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       太い木や細かい枝、しつこい草や蔓などを焼いて草木灰を作っている。

 

化学肥料も大量の畜糞も無い時代、昔の農人は如何にして農産物を育てていたのだろう。
歴史を遡って調べるにしても、江戸時代くらいの文献しか探れない。あまり多くも無い農業本を読んでも、私の拙い知識では、難解で意味も良く分からなかったが、土作りの記述はかなり多く残されていた。
それによると、山間地と集落の間には、里山があり、常に手入れをして、落ち葉や柴を集めていた。
圃場の近くに穴を掘り、稲わら・もみ殻・葉っぱ・柴・萱、そして、草を集めてきて、人糞(家畜の糞はそんなに多くは無かった)を振り掛け、何層にも重ねて1年掛かりで、草木堆肥を作る。その草木堆肥を何代も掛けて、圃場に入れ込み続け、土作り(土を肥やす)を行ってきた。
さらには、草木を焼き、その灰を圃場に撒き、現代の石灰(酸性防止)と同じ中和剤を作っていた。
江戸時代、八百八町の住民が住んでいたと言われる長屋から出される人糞の量は半端ではなかった。その大量の人糞の汲み取り搬送の権利を巡って、よく喧嘩が起きていたそうだ。それら大量の人糞は汲み取り業者から近在の農家が買い取っていたそうだ。
畑の隅にむかしは、肥え坪が置かれており、よくそこに落ちたものだ。おそらくは、むかしも人糞に草などを入れて発酵させて、今で言う追肥として使っていたと思われる。

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                放牧牛糞の山

この牛糞は、空いた田圃を借り、草を植えて、繁殖牛の放牧を行っている畜産農家から届けてもらったもの。その餌のほとんどは草。牛舎には、おが屑を敷き詰め、牛糞を早い周期で回収しており、アンモニア臭もあまり無い。そのため、牛糞特有の臭いはほとんどしない。蠅も少ない。

それに対して、肥育農家の牛糞は、配合飼料がほとんどのため、独特の悪臭を放つ。これは牛糞の管理もさることながら、配合飼料による臭いである。輸入配合飼料は抗生物質・滅菌剤などの薬品漬けとなっている。

 

その草木堆肥を使った自然循環農業は、戦後まで続いていた。次第に、アメリカ方式の機械化・化学肥料・農薬の近代農業が大量生産・農家の浮揚を旗印として、次第に日本の農業を席捲していった。
1960年代頃は、草木堆肥を使った農業はほとんど見られなくなってしまっていた。
その後、化学肥料・農薬の近代農業に対するアンチテーゼとして、有機農業に取り組む農家、それを支持する市民層達によって、厩肥・稲わらなどを使った堆肥作りが行われ始めた。
処が、1980年代後半になって、「消費者を守るため」と言った名目で、有機JAS法が制定された。
これによって、戦後、あるいは、戦前から続いていた草木堆肥などを使った日本古来の有機農業は国によって、全面否定された形となってしまった。
有機JASの認定を取得しなければ、有機野菜として認めないことにされてしまったからである。

 

有機JAS規程
有機物なら何でも良い。化学合成された肥料・農薬は使わない」その趣旨は概ねこれだけではある。
国の認定を受けた検査者から調査を受け、一年間に一回かなり複雑で面倒な書類を提出し、農産物には一枚50銭のシールを貼り付けることが義務付けられた。この規制は一回有機JAS審査を通れば、手間は掛かるが、書面提出だけで良いようで、後の追跡調査は建前のみとなっている。
また、この法令は、生産者への支援は一切為されない、一方通行の規制となっている。

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破砕機で剪定屑を作り、より分けた葉っぱを集めている。この中に計測不能なほどの微生物と放線菌が棲んでいる。炭水化物などは微生物が分解し、リグニン・セルロースなどの硬いものは放線菌が分解する。

この有機JAS法施行に対して、今まで有機野菜を生産していた農家の多くは、そっぽを向いたり、有機野菜生産を止めてしまった方も多い。
その結果として、日本での有機の歴史は一旦終わり、法令(形)だけの有機野菜となってしまったようだ。
勿論、国の法律を守り、懸命に取り組んでおられる有機農家もおられるが、当農園は、形だけの有機農家に格下げされることを拒み、本来的な有機農業を志向しており、自然栽培、若しくは、むかし野菜として、日本古来からの草木堆肥を復活させて、現在に至っている。
ちなみに、日本の有機野菜は、評価が低く、世界のオーガニック野菜の認定は受けられないと言うか認めてもらえていないことは、如何にも建前や形だけの有機野菜としての評価しか受けていないということになってしまい、有機野菜発祥の地である日本人としては、なんとも情けない話ではある。

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除草作業の後、広い圃場から収集してきた草を溜め込む。この作業が中々に辛い。

おおよそ、草5:牛糞2:葉っぱ等3の割合で混ぜ込む。牛糞は発酵促進剤として必要となる。むかしの人達は人糞を使っていた。

 

確かに野山から葉っぱを集めてくること(当農園では、造園業者が持ち込む剪定枝を破砕している)除草した草を軽トラックで収集して回ること、それらを重ねて草木堆肥を作り続けること、いずれも労力の塊であり、根気の要る作業である。
それでもむかしの農人に比べれば、破砕機はあるし、トラックはあるし、混ぜ合わせるトラクターはあるし、堆肥を積み上げるタイヤローダーなどの機械があり、恵まれている。それでも、窒素分の多い畜糞を蒔いたり、化学肥料を施肥したりすることから比べれば、10倍以上きつい作業が必要となる。
如何に美味しく安全な野菜を作っても、消費者に認めて頂けないのでは仕方が無いことなのだろうが、現在の農業者は、手間を惜しみ、労力を惜しみ、「美味しく安全な野菜を作り続ける」と言った農業者としての誇りを失いつつあるように見える。
政治も、メディアも、一般の消費者もそんな頑張っている農業者や職人を評価してはもらえないのかもしれない。つまりは、正当な価値を評価することが難しい時代になっている。

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        左から、破砕機・タイヤローダー・トラクターの三種の神器

このような機械が無い時代、むかしの農人はさどや大変であったろう。農園主も始めた当初は、この草木堆肥作りは全て手作業で行っていた。


それでも、むかし野菜を食べてくれる子供さん達の笑顔や定期的に野菜を購入して頂いている方からの「美味しい」の一言が私達を動かせ続けている。

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農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2019.11.20(水)晴れ、最高温度18度、最低温度7度

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            晩秋の圃場の風景(3番の畑)

 

11月の晩秋になって、相変わらず雨が降らない。蒔いた種はようやく発芽しているが、一向に大きく育たない。(織布のベタ掛けにより乾燥を防いでいる)

ひたすら、雨を恋い焦がれて待っている。農人の水遣りでは生きているのがやっとの

状態。

この時季は太陽が傾いているため、強い太陽の熱がないため、圃場の表面が乾燥せず、初秋の長雨によって、地中に水分が残っているので、何とか、保っている。

 

 

2019.11.20. 種子の話

 

最近では少なくなってきたが、「F1を使っていない野菜は無いですか」「在来固定種の野菜のみ食べたいのですが」などの問い合わせが時折寄せられていた。
当農園では、何があるのか?と考えてみると、わずかには存在している。
島らっきょ・エシャロット・わけぎ・とうがらし・紫蘇・蔓紫などである。
これらは、随分とむかしから自家採取(と言うより、種を残し、毎年植えている)、あるいは、こぼれ種によって、芽を吹いた苗を毎年、植え替えている。となれば、(品種改良)交配されていない固定種と言うことになるのかもしれない。

さて、「在来、あるいは、固定種とは一体何だろうか?」「交配品種、所謂F1品種を何故嫌っているのか?」これは遺伝子組み換え(遺伝子に新たな遺伝子を組み込む)・ゲノム編集(遺伝子の一部をカットし別の種子を人工的に作る)とも異なる。
但し、F1の種は、ゲノム編集されていないと言う保証は無い。ここに難しさはある。

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つまりは、こう言うことだ。
農家が早く育つ品種、あるいは、見栄え良く大きく育つ品種を望んでいるとすると、その特性を有する優勢遺伝子だけを残し、劣性遺伝子を切り捨てる操作を行うことも可能であり、種子メーカーは、その特性を持つ優勢遺伝子を持つであろう他の野菜と掛け合わせる事を繰り返し、新たな品種を作り出す。唯、これは相当に手間と時間とコストがかかる。
ゲノム編集ができるならば、その方が早く確実に新たな品種を生み出すことが出来る。
日本政府に聞いたわけでは無いが、世界に先駆けてゲノム編集を解禁した理由もその当たりでは無いかと容易に推測できる。ゲノム編集解禁の理由が篩っている。「自然界でも突然変異で新種が出来るわけだから、区別する事が出来ない」としている。
最近、やたらと甘くなるトマトの種子が出回り始めている。消費者が望むからと言う理由だけでは、容易に容認できるものではないと思うのだが・・・
ちなみに、当農園では、トマトには、適度な酸味と味香りがあり、旨みがある昔ながらのトマトの種をいつも探し続けている。これすら最近では酸味のあるトマトを突然に廃番したりしており、実に苦労して種子を探し続けている。最後は欧州から直輸入するしか無くなるのかもしれない。

 

古来から、種子は交配を繰り返して今の種子に至っている。自然交配か人工交配かの違いはあるが・・・
確かに交配し難い品種もある。例えば、胡瓜・南瓜・冬瓜などである。これらは皆「瓜科」である。
これなら在来固定種と言えるのかもしれないが、但、わずかながら、同一「科」の中で、交配はしている。
問題なのは、アブラナ科である。
小松菜・青梗菜・水菜などの葉物野菜や白菜・キャベツ・ブロッコリー・大根・蕪など多くの野菜は、ほとんどアブラナ科に属する。この科の野菜は、放って置くと、勝手に交配し、亜青梗菜・亜赤蕪などになったりする。
「自家採取はやっていないのですか?」との問い合わせについては、必ず、「不可能」と回答するようにしている。自家採取専用のハウスを持ち、都度自家採取するなど、一体どれだけの手間とコストが掛かるのか、農家で無い方には分かるまい。

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      アブラナ科の代表である白菜とキャベツ(2番の畑)

収穫をしていると、時折、蕪と白菜、小松菜と白菜の相の子ができていることがある。

これはF1の種子を作る際に掛け合わせたものの本性が現れて来るのだろう。

 

在来・固定種の種を多く取り扱っている「野口種苗」と言う種子メーカーがある。
彼も、在来固定にこだわっている方々に対して、実に興味深い事をおっしゃっている。
「固定種の蕪があり、それを何十年も作り続けていると、いつしか、奇形が出来たり、小さくなったりして、より難しくなっていく。時には、他の品種と交配を行い、種子を健全にしていかねばならなくなることも必要である」
平家の落人部落があり、山里深く永年住み続け、同族婚姻を繰り返していると、次第に虚弱体質になったり、奇形児が生まれたりして、やがてはその一族は死滅してしまう事もある。
自然の神からの警鐘である。法律では兄弟親子の婚姻は決して認めていないのはその理由の一つである。

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季節はこれから冬に向かう。この季節は、色とりどりの野菜で農園は賑わいを見せる。

中でも蕪・大根の色彩は赤・白・ピンク・紅・紫・黒と、随分と目を楽しませてくれる。

これらのほとんどが交配によって新たに作られた品種である。在来・固定にこだわるのも良いのですが、そうすると、その方は、いつも同じ野菜を食べなくてはならなくなる。それほど、在来固定種は少ないのです。

 

種子については、私なりに思うところがある。
甘さ・大きさ・育て易さ・見栄えなどを優先させ、そのための優性遺伝子ばかりの種子を作り出すために、人工的に交配を繰り返したり、遺伝子カットによるゲノム編集をしたりすることは、種子の本来有している遺伝子のバランスを壊すことに繋がる。
むしろ、劣性遺伝子の中に含まれている自然との調整機能をも壊すことになり、アレルギー・アトピー・癌などの現代病を引き起こすことに繋がっていくのではないか。
自然とは異なる異物を体内に入れる際に、人間が拒絶反応を起こし、様々な現代病を引き起こしている。
それは、遺伝子組み換え(ゲノム編集も含む)であったり、無理な改良を重ねた種子であったり、若しかして、農産物生産に多く使われ出した除草剤であったり、梨などに多く使われているホルモン剤であったり、浸透性農薬であったり、薬品漬けになった畜糞や化学合成肥料・農薬であったりするのでは無いかと言った懸念を私は強く抱くようになった。

単に自然を壊していると言うことでは、多分に情緒的な批判でしか無い。むしろ、人間の欲望や思惑によって、こうしたケミカル依存をすることに、自然の神からのしっぺ返しが来ているのでは無いか。
これは20数年の農業の中で、感じていることです。
現在の自然界の環境は、ケミカル物質に覆われている。そんな中で、可能な限り化学物質を圃場に入れない農業を目指している。結果として、当農園では、有機農産物と言われることにも違和感を持っており、自然循環農業(自然栽培)と称している。

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大豆を収穫した後に、枯れた大豆の枝等を風の無い日に一斉に野焼きする。ご近所の方々には、大変

ご迷惑をお掛けするが、この後、直ちに耕して来年用の麦の種蒔きが待っている。

除草剤を使わないために、雑草も生い茂っており、一緒に焼いてその灰が次の麦作には

有効なのです。むかしから、農家では行っており、畑の風物詩となっている。それでも、むかしから農業を

営んで来られた方は、理解していただけのですが、移り住んで来られた方から、すぐに消防署に通報が行くこともしばしばです。これも時代を映しているのでしょう。 

農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2019.11.13(水曜日)曇り、最高温度22度、最低温度12度

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             玉葱の定植作業-8番の畑

 

ようやく玉葱5万本の植え込み作業をほぼ終えた。残り3千本となった。

例年この8番の畑で最後となる。腰を屈めた形での植え込み作業は流石に堪える。

この後、春先から延々と除草作業が続くと思うと今から溜息が出る。

農園では、他の農家と違って、草取り作業を省くため、あるいは、(成長を促すため)地温を上げるための黒マルチはしない。

除草作業をしないことは楽ではあるが、自然の厳しさと触れあわない成長は、やはり、ハウス栽培と通じるところがあり、肥大し過ぎたりで、何より、美味しくない。

 

2019.11.13  年間百種類以上の野菜生産

今年も玉葱の植え込みの時季が来た。
11月は野菜の生育が厳しい厳冬期を控えて一年間のうちで、野菜植え込み・種蒔きに最も気を配らねばならない月となる。
先ずは、玉葱の定植。玉葱は、冬場に根を張り、春先に成長する性質をもっている。家庭で最も必要とされている野菜であり、一年に一回しか採れないため、二百数十名の定期購入のお客様のために、かなりな量を一度に植え込まねばならない。今年は約5万本を見込んでいる。全て一本一本手作業での植え込みとなる。収穫時期をずらすため、極早生から始まり、早稲・中早稲・赤玉葱と続き、スタッフ全員総出の作業となる。

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8番の畑に玉葱を植えるために土作りに行ってみると、わずかしか植えていなかったはずの冬瓜が、畑にごろんごろんと転がっていた。初霜が降りて葉っぱが枯れて、今まで見えなかったため、気がつかなかった。

南瓜は今年もダメだったが、何故か冬瓜の当たり年になってしまった。

※冬瓜は冬の瓜と書く。れっきとした夏野菜である。長持ちして冬期に暖かいスープ料理にして食べるため、この名前が付いた。

さらに、春に出荷予定のスナップエンドウ・実エンドウ・絹サヤエンドウ・そら豆の種蒔きがある。
一度、初春頃、種蒔きを試みたが、やはり満足に実を付けてはくれなかった。これも玉葱と同様に冬場に根を張り、基部を充分に生育させないと美味しい満足のいく実は育たない。

 

最低温度が10度を切り始めると、発芽率が極端に低下するため、葉野菜・大根・蕪類などは一週間単位で種蒔きを行い、どうにか発芽させておかねばならない。発芽させてしまえば、ビニールトンネルにより保温してもらい、生育は何とかなる。とは言っても、太陽や雨に当ててやらねば軟弱な野菜となってしまうため、気候を読みながら剥ぐったり、開けたりの管理は必要となる。
育苗ハウス内で苗を育ててきた白菜・キャベツ・ブロッコリー・レタス系の定植作業もこの時季と重なる。これらの主にアブラナ科の野菜達は、晩秋から中春にかけて最も作り易いが、どちらかと言うと、晩秋から初春のものが一番美味しい。余り温度が上がると適さない冬野菜と言えそうだ。

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この時季は、次第に寒くなってくる気候であり、最高温度が10度を切ると、発芽し難くなるため、二週間に一度、都合、5段階に分けて種を蒔く。例えば、葉野菜の場合、最低5畝は用意しておかねばならない。そうしないと、厳冬期を過ぎた2月~3月に掛けて葉野菜がまったくないと言うことになってしまう。そのため、かなりな面積の圃場が必要となり、気候を読みながらの種蒔き作業が続く。

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大豆の収穫が終わると、直ちに耕し、草木堆肥を振り、畝立てを行い、麦を蒔く。

発芽しておよそ4週間経過した頃、スタッフ総出で麦踏み作業を行う。

 

次に迫ってくる年中行事は穀類畑である。
晩秋に収穫を待っている大豆が約一町歩(3,000坪)待っている。内訳はと言うと、佐藤自然農園が約5反(1,500坪)、後藤農園が2反半、小原農園が2.5反、田北農園が1反。
これらの穀類専用畑では、大豆と麦の二毛作を行っている。大豆収穫後、雑草に覆われた畑を耕して、草木堆肥を撒いて、裸麦・小麦・古代もち麦の種蒔きが待っている。

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大豆を煎って黄な粉を作る。この作業もむかしながらの手順がある。入り終わった大豆は熱を取り、先ず、製粉機にて粗めに砕く。おもむろにトウミにて手作業でふるって殻を飛ばす。次にさらに細かく粉にしてようやく黄な粉となる。

 

このようにこの時季は、スリーシーズンの秋野菜・冬野菜・春野菜の種蒔きが重なってしまうため、さらには、大豆・小麦などの穀類の収穫及び種蒔き作業が年の暮れまで続く。誠に忙しく、どこの圃場のどこの畝が空いているのか、どこに何を植え込むか、何段階で種を蒔くか、苗や種の手配、重なり合う作業手順管理、などなど、ついでに頭の中も、常に気を張ってフル回転しており、ボーッとしているわけにはいかない。
それも激しい気候変動を先読みしながらの作業となる。露地栽培とは、マニュアルで作れるものでは無く、積み重ねてきた経験と読み、そして、自然の神様を味方に引き込む農業者の勘働きの世界である。

 

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これはビーツ。農園ではすでに10数年前から皆様にレシピを付けてお出ししている。

定番は何と言ってもボルシチであるが、酢漬け・サラダにもできる。葉っぱはともかくとして、この赤い茎は炒め物などにすると甘く味香りがあり、美味しい。

 

ある農家の方が「年間百種類以上の野菜の生産なんて、どうかしている。しかも四季の変化の中で必ず訪れる端境期を乗り切れるのか?そんなことが実際にできるのか?」と言っていた。現代農業の常識からすれば、無理なのであろう。むかし農業では当たり前のことなのだが・・・
但、こちらはこちらなりに、出来るのか?ではなく、しなければならない事情がある。
当農園は、私たちを信じて待っておられるお客様方へは、「自然循環農業の農産物しか届けない」「品質を同じくする」「何より安全でかつ健全であること」などの暗黙の約束事があり、その信頼を裏切るわけにはいかない。そのためには、品質をある程度揃えるために、何としてもグループで全ての農産物を育てねばならない。

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例えば、レタス系と言っても様々な種類がある。玉レタス・半結球レタス・コスレタス・フリルレタス・

サニーレタス・サンチュ・サラダ菜・トレビス等々、用途によって様々な食感・味香りがある。

当農園は、サラダセットと言って、水菜・辛し水菜・マスタード・スイスチャート・ルッコラ・赤ほうれん草などおよそ10種類の野菜をセットにしている。農園の人気NO1の地位を得ている。


いつも同じ野菜では如何に物分かりの良いお客様でもすぐに飽きられてしまう。となれば、健全、かつ、高品質な年間百種類の農産物を作り続けるしかないではないか。と言った事情である。
年間百種類の野菜とは言っても、わざわざ数えたわけでは無い。それくらい多いという意味に過ぎない。

 

日本の四季がフォーシーズンと言う訳でも無く、実際には、夏野菜と春・秋・冬野菜のツーシーズンに近い。つまり、日本の気候は大まかに分けて雨期(秋から始まり、極寒の冬が到来し、やがて春になる)と乾期(梅雨明けの7月~9月までの酷暑と乾燥気候)に分かれてきた。
雨期と言っても雨ばかりとは限らない。時には、一ヶ月ほど雨が降らない時季もあったりする。
それでも、春夏秋冬、それぞれの季節には柱(出荷の軸)となる野菜が存在する。
例えば、現在種蒔きをしている豆類(絹莢エンドウ・スナップエンドウ・実エンドウ・空豆)は間違いなく4月~6月初旬までの春野菜の軸となる。それが終わる頃、6月~7月のインゲン豆も初夏野菜の軸となっている。
6月下旬~8月初旬頃は、何と言っても露地トマトである。その頃、茄子類・ピーマン系・トウガラシ系が夏野菜の顔となる。但、最近の温暖な気候では、ピーマン系・トウガラシ系などが、9月~11月初旬まで、秋野菜の軸となっているから面白い。秋の落ち茄子も美味しい。
晩秋野菜と言えば、何と言っても、大根類・蕪類がその代表的な野菜となる。この時季の大根・蕪は、白・黒・深紅・赤・紫・ピンクなどの色彩に富んでおり、我ながら美しいと思う。
冬になると、キャベツ・白菜・葉野菜・レタス系が軸となってくる。これらは、害虫被害が遠のく冬場にこそ、その存在感が増し、しかも、より美味しくなる。

その間を埋めていくのが、胡瓜・牛蒡・南瓜・冬瓜・さつまいも・黒大豆の枝豆・栗・生椎茸などの定番野菜である。彩りとしては、セロリ・ビーツ・人参・パプリカ・赤玉葱・トレビスなども加わってくる。

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これは花盛りの馬鈴薯畑。このように野菜の花は清楚で美しく、忙しい農園ライフの中で、疲れた体を時には癒やしてくれる。ちなみに、馬鈴薯の花が咲いてからおよそ3週間で収穫時期を迎える。
 

このように、当農園としては、先ずは軸となる野菜を生産の柱として、消費者の食卓を四季の野菜で埋めていくために、生産メニューを決めて行っている。
お客様の食卓を彩るために、端境期をかいくぐって、次々と野菜が現れ、ついには、年間百種類の野菜が農園に拡がっていったに過ぎない。
お客様への直接販売とはこういうことになるが、現代農業の常識から言えば、野菜が春夏秋冬、よく繋がっているものだと感心している。これを受け継いで行く若い農人達に頑張れ!と言うしか無い。

 

 

農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

2019.11.8(金)曇りのち晴れ、最高温度20度、最低温度11度

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                玉葱の定植

 

今年は赤玉葱も含めると約5万本ほどになる。

全て手植えとなり、堆肥振り・畝建て・植え込み作業が急ピッチで行われている。

玉葱は日常最も使う野菜の一つであり、そんなに単価も取ることもできないが、ご家庭での必需品でもあり、何しろ、植え込みの量は半端ではない。

例年のこの時季の農園の行事であり、一つの風物詩でもある。

 

 

2019.11.6 農園直売所は八百屋さんとお菓子屋さんになる!

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水曜日に直売所を開いてから今月で8ヶ月経過した。日曜日開催に踏み切ってからほぼ1ヶ月を経過。
未だ、大分市場には浸透していない。ここは我慢比べとなっている。
テレビ等のメディアを通せば、多くの消費者に届く効果は高くそれなりの意味はある。但、これは反響が大きい分、一過性に成り易く反動が余りにも大きい。
九州一円にテレビ放映されると、いきなり、2,500余名の問い合わせが殺到し、自然野菜にも限りがあるため、500名に絞って何とかお届けしたが、一年以内に470余名の方が脱落した。
今回は、地道にチラシを配ったり、団地新聞に載せたりで、口コミを誘発しようとしている。若いスタッフ達も自主的に団地にチラシを配り始めた。それが何より嬉しい。


水曜日の直売は20余名の固定客が入れ替わり訪ねてきてくれている。

日曜日は、菓子類・パン・惣菜・おやつ類なども揃えており、次第に固定客も付き始めてはいる。その方々による口コミにより、時折、新規のお客様も来られるようにはなった。客層は少し異なる。
消費者とのコミュニケーションもややぎこちなくも進んでいる。農園主もできるだけ、若いスタッフ達に任せてあまり出ないように気をつけている。ここは彼らが自立していくためには、正しく正念場となっている。
唯、今までお世話になったメディアに頼ろうとする気持ちが無い訳では無いが、今は我慢の時である。
そうした中、徐々にではあるが、野菜の旬の説明、食べ方の紹介、古代もち麦ブレンド小麦粉の使い方麦ご飯セットの紹介、漬物や味噌などの詳細説明などがようやく彼らの口から伝えられるようになりかけている。

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日曜日は野菜及びブレンド小麦で作ったお菓子やコロッケの販売だけではなく、試食会も行っている。

立て込んでいない時間帯には、じっくりとスタッフもお客様と話し込んでいる。

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ブレンド小麦粉と農園で採れた大豆を焙煎した黄な粉によるやせうま

 

かっては、どこの街でも八百屋さんがあった。市場から、あるいは、直接農家から仕入れてきた旬の野菜が店頭に並べられ、「奥さん!この茄子は今が落ち旬です。小さいがうまいよ。ああ!鍋なら良い葱が入っているよ。それとこの聖護院大根が合うよ。やや苦みがあるのが特徴だが、油揚げや豚肉と甘辛く似ても美味しいよ」などと料理方法から美味しい時季まで紹介し、かれらは、農家の代弁者でもあった。
お客様もその店主から進められた野菜を選んでおり、八百屋さんに行ってから今夜の献立を考えていた。
一昔前は、良き時代のコミュニケーション文化があった。
八百屋さん・魚屋さん・肉屋さんは、大規模ショッピングモールに変わり、売り手側と買い手側の会話は今では無い。野菜の健全性・美味しさなどの質は大きな価値を持たない。専門的な知識や美味しい料理方法などの情報のやりとりも無い。
言うなれば、専門的な知識もあまり多くない者同士が売り買いを行っていることになる。
これでは、何が健全で良質の野菜であるか?美味しい野菜とは何か?栄養価とは何か?など、分かりようが無い。結果として、見た目・新鮮そう・安全そう・価格などにより野菜を選ぶしか無くなる。
そんな状況が長らく続くと、果たして消費者は農産物の質を見定めようとしているのか?それすら疑問に思えてくるようになる。
効率優先の大量流通の世界はこんなものだ。これでは、健全で良質な野菜を生産する農家は育たない。

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何かと問題のベーキングパウダーを使わず、麦から起こした天然酵母を使用した苦心のパウンドケーキ。

 

当農園では、草木堆肥による低窒素・高ミネラルな自然循環農業により、野菜や穀類を育てている。
そのため、常に販売において、啓蒙・啓発的な説明や紹介の仕方が求められている。
この野菜が他の有機野菜や慣行栽培による野菜とどう違うのか?除草剤・高窒素肥料を使わない穀類の美味しさと安全性の紹介や説明、穀類の味香りがする野菜饅頭・コロッケ・パン・ケーキなどの紹介、やせうま・クレープ・石垣餅などのむかしおやつ作りの勧めなど、お客様に紹介するテーマも多い。
そのため、店頭において、四苦八苦しながら、お客様とのコミュニケーションに取り組んでいる。
習うより慣れろ!で、そのうち、大分の消費者にも理解して受け入れて頂ける日が来る。

むかし野菜の邑の農園直売所は、八百屋さんになったり、お菓子屋さんになったり、ひたすら頑張り続けていくしか無いのである。

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農園日誌Ⅲーむかし野菜の四季

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            葉野菜がずらっと並ぶ2番の圃場

 

この畑は草木堆肥歴17年のプラチナ級の圃場。

奇跡的に害虫被害が少ない。それでも大人になり掛かっている白菜などは、外葉や基部には虫がびっしりと付き、丸裸になるのも時間の問題となり始めている。

 

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一見きれいそうに見えていた白菜もカメラを寄せてみるとこの通り。

一週間、予定を早めて急遽出荷に踏み切った。全量出荷するまでに2週間以上かかる。

果たして間に合うか?

 

 

2019.10.30  自然との語らい「恵みの雨と命の太陽」

 

かっての日本の気候は、あるいは、日本の農業は、温暖な風土で、季節の移り変わる中、太陽の光と雨が良い周期で交互にやってきていた。梅雨や台風も一つの気候の周期であった。
処が最近の日本の気候は、極端から極端に変動し続け、農業者にとっては、かってのように安定した農産物作りが難しくなってきている。夏は酷暑が続き、一滴の雨も降らない時季が続いたかと思えば、今度は一転して太陽が覗かず、じめじめした蒸し暑い日々が続く。
このような気候の時が、実は、害虫の異常発生になり易い。暑さで抑えられてきた害虫の卵や幼虫がこの高温・高湿度で一斉に土中から解き放たれる。野菜の幼苗など一溜まりも無く、その異常発生が生育し始めた葉野菜の成長時期にぶつかれば、一週間で、一つの畝が壊滅してしまうほどの凄まじさとなったりする。
加えて、大根・蕪などの畝が葉っぱの虫喰いだけでは無く、土中に異常発生した線虫・コガネムシの幼虫・夜登虫などにより喰われる。傷を修復するため、表面に瘡蓋が出来、根や蕪が茶色に変色硬化し、商品とはならなくなり、全滅してしまう。それを見る度に、農業者の顔は曇る。
アブラナ系の葉物・根菜類はすでに3回全滅している。それでも諦めず4回目の種蒔きを行っている。

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自然循環農業を行う農人は、この時期、種蒔きや育苗管理にチャレンジし続ける不屈の精神力が問われる。そんな時、直販所でいきなり飛び込んでこられたお客様が、何故こんなにお高いの!と言う声が頭をよぎる。
最近では、そんな今年のような気候が交互にやってくる。
施設栽培に頼らず、自然のままに農産物を育てて行く。これも自然循環農業が生み出す美味しく健全な野菜作りに掛けているからに他ならない。

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虫害によって、まばらになった蕪の畝

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それでも二週間間隔で種を蒔き続けている。祈るような気持ちで!

 

こんなことがあった。関東のあるお客様から一通のメールが届いた。二児の母親からである。
この方は、すでに二回むかし野菜を中断している。その理由が一つは義母が「そんなに費用を掛けてまで九州から野菜を取らなくて良い」といつも喧嘩になっており、離婚もできなくて一度は定期購入を止められた。二回目は、エンゲル係数とかの話題が夫婦間で話し合われ、やはり、泣く泣く野菜配送を中止されたと言った経緯があった。
むかし野菜を中止された後、近在の高級スーパーにて、有機野菜を買っていた。処が、子供さん達が全く野菜を食べなくなってしまった。夫婦で叱りつけても、さらに食べない。
仕方なく、東京の有機専門卸店から無農薬野菜を買い始めた。
両親が野菜を食べることを強要し続け、諦めたのか、今度は、子供さん達が、「味付けを濃くしてくれ」と言い始めた。半ば義務的に野菜を食べたとしても、美味しくないものは、食べたくないですよね。
メールにはそれらの事情や経緯が克明に綴られていたが、ご夫婦で話し合った結果、「量を落として野菜を隔週にて再再度送って欲しいとのこと」

以下のようにこちらから返信を打った。
「子供さんは、本物の野菜の美味しさを知っておられますね。草木堆肥しか施肥しない土壌には、ミネラル分が多く含まれ、永年草木堆肥を施肥し続けた土壌は肥えていきます。そのため、低窒素でも育つわけです。低窒素で育った野菜は完熟野菜となります。デンプンが分解され、糖質とビタミンに富んだ美味しい野菜ができます。低成長であるため、筋が無く肉厚ジューシーとなり、子供さんの口の中で溶けていきます。それを未だ汚れていない舌は感じているのですね」
「自然循環で育った野菜は栄養価の面でも慣行栽培や畜糞主体の高窒素栽培とは異なり、栄養価に富んでおります。計測する事は適いませんが、おそらく10倍以上は糖質ビタミン・ミネラル分は多く含まれていると思います。従って同じ量で量れば、数倍は安いことになりませんか?」
「量を少なくとのことですが、それだと、貴方はかなり損をする事になります。送料コストは同じなのですよ。私はそのため、足を棒にして大分県無添加干物を探し出し、工場を説得し、野菜と一緒にお送りしたり、自然農の米と除草剤を排した自然栽培の穀類(味噌・ブレンド小麦粉・麦ご飯セット等々)を時折同封しております」
「私達にはお客様(この農産物当を共有する意味で仲間達)の健康を守っているとの自負心を持ってこの仕事に取り組んでおりますよ」
「子供さん達には、本物の持つ力とそれを作っている人達への思いを大切にしていて下さい。きっと大きくなった時、価値観の分かる大人として、貴方達の役に立つ日が来ると思いますよ。とお伝え下さい。ありがとう!」と締めくくった。

 

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これは一昨年10月末頃の5番の圃場の風景。

左は2~3月頃出荷予定のブロッコリーの幼苗。右は3月頃出荷予定の大根の幼苗。

この年は、良き秋が来ており、苦労せずに野菜が育った秋であり、余り悲壮感はなく

楽観的な雰囲気が圃場に流れていた。

白い布はパオパオと言って、虫除けと保湿・保温効果のあるベタ掛け幼の織布。

今年の様に湿度が高く害虫の異常発生する年の場合は、余り長く掛けていると、蒸れたり、地面から湧き出てくる害虫にやられてしまう。

 

とは言っても、太陽と雨は野菜にとっては、自然の恵みであり、露地栽培では、雨を待って、一斉に種蒔きを行う。水遣りだけでかなりの労力を使う。葉野菜や蕪大根などは、種を蒔いて3~4日で芽を吹く。
その後、一週間は水遣りを行わねばならないが、雨の前々日に種を蒔けば、うまくいくと一回の水遣りで済むこともある。やらねばならない事の多い露地栽培では、自然の力を借り、できうる限り省力化していかねばならない。
直射日光が弱まり暑さが薄れる晩秋の季節には、発芽や生育条件が整い、野菜の種蒔きには最適時季となる。但、最低温度が10度以下になると発芽がし難くなり、最高温度が15度を下回ると、生育が遅くなり、最低温度が5度を切ると、ビニールトンネルなどで野菜の発育を守ってやらねばならなくなる。
露地栽培は、常に気候を読み、農業者独特の勘働きで管理していくことにはなるが、「自然に順に」が重要となる。
正に、露地栽培は自然との語らいの日々である。

今年の秋冬は、やや高温多湿になりそうな予感がしており、従来の季節より、種蒔きの時期を約1ヶ月ほど、遅らせた方が良いように思える。
例えば、今までは人参の種蒔きは10月初旬までに、であったが、今年は11月初旬頃まで蒔けそうで、「白菜は10月初旬までに定植する」が、今年は、「11月初旬頃まで定植できる」に変えても良さそうである。