農園日誌Ⅱー「活きること」ーPART28

2019.8.7.(水曜日)曇り、最高温度34度、最低温度25度

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台風一過、胡瓜などの棚が倒壊しており、今日は出荷日にも拘わらず、復旧作業に追われた。
唯、台風によりもたらされるのは被害だけでは無く、酷暑による乾燥した大地は、
充分に潤っていた。まだ幼い人参も葱も息を吹き返している。早速に除草をしたやった。

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これは九条葱。確か、6月下旬頃に定植したと思うのだが、以降、雨が降らず、カラカラに乾燥したため、一向に育っていなかった。
左奥に見えているのは、完全に消えかかっていた茄子の畝。これも水を好む野菜であり、この雨は救いの神であった。早速に除草と誘引作業を行った。
見れば、健気にも茄子が実を付け始めているではないか。
どうやら、夏の茄子はダメであったが、秋茄子には間に合いそう。


「活きること」 PART28

2019.2.18 彩り豊かな冬野菜達
 
去年、10年ぶりに秋らしい秋を迎え、お陰で野菜は順調に育ってくれた。
そのため、続く冬野菜、そして春野菜と出来映えも良く、生産量も増えた。
こんなに苦労せずに野菜が育つのも久しぶりで、なんだか拍子抜けするような豊潤な季節となった。
今まで、長らく野菜不足が恒常的に続いていたが、今度は一転して野菜が余り気味になっていった。
折角自然に恵まれたのだからと、こう言う時は、価格は据え置いて、量は1.3倍~1.5倍にして皆様にお届けするようにしている。

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この頃、実は農園では、大きな曲がり角に直面していた。
去年の秋口から、宅配業者が送料の一斉値上げに踏み切っていた。応じなければ宅配取引を切られても良いとの問答無用の対応であった。値上げ幅は、2倍と言う極端な引き上げを宅配業者全体で押し切ってきた。人件費高騰と働く人の確保が難しいとの理由であった。
その要因の多くは、大手通販会社であるアマゾンの存在にあった。格安で、あるいは、送料無料での配送サービスを強行してきており、それを受けてきたヤマトやサガワの体質に問題があったとみている。
そのしわ寄せが通常の物流に来たことが大きな要因であった。
ある程度正常な運賃体系にしておけばここまではひどくならなかったであろう。強者が弱者を飲み込んでも構わないと言った論理があるように思える。消費者もそれに迎合していったため、結果として、日本の物流費を必要以上に高騰させ、逆に日本の経済を、消費者を縛っていき、野菜に留まらず、全ての商品の価格が上昇に転じていく。
 
宅配業者二者との交渉の中で、何とか1.8倍程度の値上げに止め、急速に上がった送料の一部を、むかし野菜の邑や生産者にて負担することにした。
結果として、お客様には従来の1.5倍程度の引き上げに留めた。
 
但、この送料値上げは、当然お客様の消費マインドを直撃し、先ずはテレビ放映で新たに加わった200余名の新規のお客様から、徐々に定期購入者から脱落していった。
ショックだったのは、一年以上も取り続けて頂いていたお客様からの脱落組が出始めたことであった。
その理由をお聞きしてみると、「体が美味しいと言っているのも食べ続けることの楽しさもあるのですが、家計がそれを許してくれないのです」と。
「むかし野菜の価値をご理解して頂ける方に出会えたのに、残念です。また。取れるようになりましたら、よろしくお願いいたします。皆様のご健康をお祈りしております」と言わざるを得ない。

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農園主は思うのです。
「除草剤も使わず、化学物質を圃場に持ち込まず、手間と労力を掛けて草木堆肥によって何年も掛けて育てた土壌から生まれてくる美味しくて健全な野菜は、人の体を再生させ、健康体に近づく」
高い送料を掛けて送られてくるやや割高な農産物及びその加工品は、決して贅沢では無いのです。
有機農産物も含めてあらゆる食品に含まれている抗生物質ホルモン剤及び化学物質や添加物に囲まれた現代の食生活は、健康はお金では買えないし、自分で守るしか無いのです。
消費者の気持ちも分からないでは無いが、要はその方の価値観の持ち方ではないでしょうか。
とは言っても、家計が苦しいと言われる全国の消費者にご無理を強いるわけにも行かない。
健全な野菜や食作りに取り組んでおられる少しプレミュアムな価格の全国の生産農園は、一様に、苦境に立たされることになっております。
 
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手塩に掛けた3,000坪(一町歩)の畑には、今日も元気な野菜達が育っており、汗を流して働く6人の若者達がいる。
ようやく土作りが進んできた田圃から穀類畑に転換した3,000坪の畑には貴重な脱除草剤・脱農薬、草木堆肥で育った麦・古代麦・大豆・とうもろこしが育っている。
農園主としては、この理不尽な社会・経済の変化とそれに伴って、寛容さを無くしつつある消費者層に何とか対応策を講じなければならない。
新たな販売チャネルの構築に向かおうとしている。


農園日誌Ⅱー「活きること」ーPART27

2019.7.31(水曜日)晴れ、最高温度33度、最低温度26度

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                お休みに入った露地トマト

 7月末、あれだけ成り続けていたトマトがお休みに入ってしまった。
露地トマトは6月末頃から8月中旬まで、第一次の最盛期を迎える。
ところが、今年は6月中旬頃から7月末まで鈴なりになってきたため、突然にぱったりとトマトが止まってしまった。

梅雨明けと共にいきなりの酷暑の季節、乾季に入ったようで、こうなると流石に実を付けることは難しいようだ。
これからは剪定誘引作業を行い続ければ、9月初旬頃から10月一杯まで量は減っても実を付けてくれることを期待している。雨が待ち遠しい。

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これは、早稲の黒大豆。農園では、この時季、黒大豆の枝豆を育てる。
8月中旬頃から出荷が始まる。枝豆と言うと皆様は夏と思っておられるようだが、
実は、この時季、旬を迎える大豆はあまり美味しくないのです。

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これも黒大豆、晩生の大納言と言います。
くそ暑い夏の7月中旬頃種を蒔き、10月初旬頃から黒大豆の枝豆の出荷が始まり
11月初旬頃、やや柔らかく長めの豆に成長する。この時季のものを私はビーンズと言っており、サラダ・パスタ・炒め物・豆ごはんに使います。
11月末頃、丸い黒大豆となります。一つの大豆で三回楽しめることになります。
この大納言の黒大豆は珍味であり、農園の人気メニューの一つです。


「活きること」-PART27
穀類の商品開発-PART2―自然栽培による穀類を使った健全な食品開発
 
麦と同じように重要な穀類である大豆の自然栽培は、目まぐるしく変化する最近の気候では、生産が安定していない。
その種を蒔く時季が、梅雨時期と重なり、麦の収穫が終わる5月~6月初旬頃は雨も多く、草木堆肥を軽トラックで畑に撒く際、埋まり込んでしまったり、耕す際にも雨が重なり、思うように種蒔きが進まないことがある。
それがうまくいったとしても、種を蒔く時季に逆にいきなり乾期が襲ってきたりして、種が発芽しなかったり、育たなかったりするリスクもある。
さらには、この夏の時季は夏草が著しく旺盛な季節であり、除草剤を使わないため、大豆が草に負けて、しまうこともある。
このため、管理機(除草)で畝下の土を堀り揚げ、草の上に土掛けを施したり、草刈り機で草を払ったりせねばならないが、収量は大きく減じる事も多い。
このようにして、ようやく採れた大豆は慣行栽培(除草剤使用)の多くても2/3程度の収量にしかならない。
 
 このように苦労して採れた貴重な自然栽培の大豆は、トウミに掛けて殻を飛ばし、色彩選別機に掛けて、大まかに選別し、さらに目視による手の選別作業を行って、ようやく大豆となる。
まさしく、大豆となるまでの工程は手作業の連続である。
広大な農地で大型機械を使って大量生産を行う粗放農業の大豆とは、そもそも生産コストが比べ物にならない。これが日本の狭い農地を使った高集約型穀類生産の実態です。

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除草剤も使わず、農薬も使わず、化学肥料も使わない草木堆肥による自然栽培の穀類とは、その作業にどれだけの労力とリスクを掛けているのかを、果たしてどれだけの消費者が知っていることだろう。
その努力に対して支払う正当な価値(代金)をどれだけの人が認めてくれるのだろう。
日本の多くの農業者が穀類生産から撤退していったのはその理由からです。

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〇このようにして採れた貴重な大豆を農園では、主に味噌作りに使っているが、大豆そのものの美味しさを表現した商品開発を目指した。
 
「味噌」-原料;大豆、自然農米、天然塩のみ
農園の竈にて、お米を蒸し、3日掛かりで米麹を作る。
大豆を竈で蒸して、薬指と親指で潰れる程度に蒸し上げる。
蒸した大豆をミルで潰し、天然塩と米麹と大豆を合わせて味噌玉を作り、甕に押し付けるようにして漬け込む。重石を載せ、表面に虫除けや除菌のため塩を置く。およそ8~12か月間、熟成醗酵させて無添加醸造味噌が出来上がる。
 
この醸造味噌は、その原料からして化学物質や薬品は一切使われておらず、その意味でも、全国のどこにも存在しない味噌だと考えている。農園の加工品の中では、人気NO1です。
大手工場で製造されている味噌のほとんどは、短期間で製造できる化学合成味噌であり、このような本醸造の味噌は地域の小さな蔵元でしか存在していない。
 
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「黄な粉」
自家焙煎を行い、2~3段階でやや粗めに粉に引く。
黄な粉と言うより、大豆粉と言ったほうが正しいようです。少し甘味があり、何より香ばしい大豆の香りが漂う。
この黄な粉は、グループの田北さんが冬から初春頃に製造するお餅と一緒に食べてもらっていたが、農園で小麦作りが進み、今では、大分名物の「やせうま」を各ご家庭で、おやつとして作ってもらえるように、レシピを添えて皆様にお届けしている。
 
「蒸し大豆」
蒸し大豆は、味噌を作る際に、大豆をみなで食べている時、この美味しさをお客様に伝えられないかと考えて、味を付けていない蒸し大豆を商品とした。煮出すのとは異なり、栄養価も失わない。
一般の家庭では、中々、煮豆を作らない。水煮は缶詰で売られているが、あまり美味しいものではない。
まして、大豆を蒸すことはおそらくないであろう。
蒸し大豆は実に栄養価の高い植物たんぱく質であり、お砂糖を加えたり、そのまま煮豆にしたり、料理のトッピングに使ったり、みそ汁に入れたり、スープの浮き身にしたりと様々なバリエーションがある。
 
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            農園体験会の一場面

子供たちが自分たちで粉を捏ね、お湯にくぐらせ、ヤセウマを作っている。

〇小麦粉を使った商品開発 及び お客様に向けたレシピ開発
小麦粉、特に古代麦とのブレンド粉が、ある程度、量が確保できるようになり、本格的な小麦粉を使った料理のレシピ開発を進め、商品開発のバリエーションが広げられることになった。
思い描いたものは、パン・クッキー・ドーナツであり、農園主が子供の頃、食べていた様々なおやつであり、万頭であり、ガレットであり、クレープである。
この小麦粉の特徴は、何と言っても麦本来の味香りが出ており、グルテンは少ないが、古代餅麦の特徴が出ており、粘りがある。早速に様々な商品開発に挑むが、それぞれに、水の分量に難しさが出た。
 
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兎に角、重量感があり、存在感ありで、何より具も美味しいが皮の美味しさが際立つ。

「野菜万頭」
具は数種の旬菜に少量の豚肉。隠し味に乳酸発酵した古漬で旨味を添えて。皮は古代麦ブレンド粉。
最初に野菜の旨味が現れ、すぐに麦の香りが口いっぱいに広がる。全粒粉使用によりビタミン類豊富で食物繊維に溢れているため、ずっしりとお腹に溜まり、小さいが2ケも食すれば満足感を得られる。
小・中学生が一度に5~6ケ平らげてしまうのには驚かせられた。
 
「スコーン・クッキー」
スコーンは喉に閊えて、水無しでは食べ難いので私は嫌いでした。ところが、このブレンド粉で焼いたものは、そのまま食べられた。この古代麦は餅麦であり、もちもち感があるためではないか。
いずれもやはり腹持ちが良い。手作りジャムなどを添えて、これは大人達にも好評であった。
 
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これも体験会での一齣。子供たちが焼いたクレープ。形は悪いが、美味しかったのでしょう。次々と口に放り込む。残ったものは、今度はお母さんたちがきれいに始末してくれました。大人も美味しいのですね。

ブレンド小麦粉のクレープ」
私が子供の頃、隣のお母さんが焼いてくれた「流し焼き」が定番のおやつで、皆で遊んでいると、
「できたよ!」と言う声に、寄り集まって食べていた。その香ばしくて美味しかったことを、いまでも覚えている。
料理体験会の際、薄く焼いたクレープに黒砂糖を入れて、中に黄な粉を挟んで、くるくるっと巻いて食べた。あまりにも食べ過ぎて子供たちは昼御飯が進まなかった。お皿に30ケほど残っていた。
10人ほどのお母さんたちが折角の料理なので、皆さん腹いっぱい食べたはずなのに、終わってみたら、そのお皿には一つも残っていなかった。
このクレープはシンプルなだけに様々なバリエーションが作れる。あんこ・果物・ジャムなど・・
チーズ・ハム・卵や野菜を置いてオーブンで焼く包み焼(ガレット)もできる。
 
小麦を捏ねて伸ばし、湯がいて、黄な粉(砂糖・少量の塩を加える)をまぶして食べる。
歯ごたえがあり、もちもちとした食感があり、子供たちはみんな大好きです。これはだんご汁と並んで大分の郷土のおやつです。
 
「石垣餅」
さつまいもの時期になると、農園では必ず出てくるのがこの石垣餅です。
芋をサイコロ状に切って、小麦粉と混ぜて捏ねる。それを丸めて蒸し器に掛ける。
 
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パンらしきものとなりました。中力小麦と古代餅麦のブレンド粉ですから、グルテンが少なく、余り膨らみません。ところが、何も味付けしなくともそれだけで麦の香りと味の深さで食べてしまいます。パンとは、麦からできているのだな!と改めて実感する。

「パン」
強力粉が70%程度は入っていないと、パンとは呼べないのかもしれないが、中力粉麦と全粒粉古代麦の製粉で焼くと、外はカリっと、中はもちもちのパンができる。麦の味と香ばしい香りがする。
小麦アレルギーの子供さんにも使えると考えて、作ったもの。何人かのアレルギーをお持ちの子供さんに食してもらったが、アレルギー症状の発症は出なかった。
  
以上のうち、野菜万頭とパンは水加減の調整などが難しく、かつ、手間もかかるため、むかし野菜の邑で商品開発を行い、お客様へお出しすることに決まった。
その他は、レシピを付けてブレンド小麦を販売することにしている。

苦労して育てた自然栽培の穀類の味は農園主の予想をはるかに上回り、実に味わい深いものになりました。


農園日誌Ⅱー「活きること」PART27

2019.7.24(水曜日)曇り、最高温度31度、最低温度20度

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                雑草に覆われつつある穀類畑

 由布市挟間町古市の圃場(旧田圃)約4反も草木堆肥を撒き続けて5年目を迎えている。土はようやく団粒化し始めているものの、何しろ旧田んぼのため、常に雨の事を気にしなければならない。特に大豆を蒔く時季は、7月の梅雨時期と重なる。

この穀類畑は、除草剤を使わない。最も全ての圃場もそうであるが、このように広い面積の場合、どうしてもある程度粗放的な農業にならざるを得ない。
そうすると、いつも課題は草対策となる。簡単に「除草剤を撒いていないんだね」とは言って欲しくはない。
おそらくは、除草剤を使っていない穀類畑は世界でも無いのではないかと思ってしまうほど、大変な労苦を強いられる。

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 昨日、男子全員で約1反半の大豆畑の草刈りを行った、5人で半日を要した。
畝間を草刈り機で草を刈り取るのだが、犠牲者をなるべく少なくするために、慎重に草刈り機を畝間に入れる作業のため、兎に角時間が掛かる。
通常はいきなり畝間に管理機を入れるのだが、しつこく振る梅雨の雨のため、埋まり込んで使えない。そのため、先ずは草刈り機ということになってしまう。
残すところ、あと、4.5反もある。気が遠くなる作業を続けねばならない。

これが穀類の自然栽培なのです。


「活きること」PART27

2018.12.11   穀類の商品開発-PART
 
 大豆の収穫も終わり、小麦・裸麦・古代小麦などの麦類と合わせて穀類は一応出揃った。
とうもろこしは残念ながら芯喰い虫(我の幼虫)にやられ、今年度の収穫は5キロも無かった。残念ながら、トウモロコシの栽培は、必ず浸透性農薬が必要なようだ。
スタッフが言った。それなら、トウモロコシ栽培は残念すべきですと・・・
つまりは、今後とも浸透性農薬を使うことは無いということです。

※浸透性農薬
 ネオニコチノイドなどの分解しない農薬であり、野菜に浸透していき、それを食べた害虫が死ぬ、と言った農薬の事を総称して浸透性農薬と言う。
現在、日本で使われている農薬の推定70%を占めている。

穀類の実験栽培も、穀類の圃場の土育ても一段落し、来年度からは、本格的な量産体制に入ろうとしていた。今年度終わり頃からは、それを見据えた穀類の商品開発を進めようとしていた。

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何故今、穀類なのかと言うと、
お米は日本人の主食である。唯、近年は三度の食事にお米を食する家庭は減ってきており、パスタや麺類そしてパンを食べる習慣がより強くなってくる。その原料はいずれも麦である。
そうなると、野菜に合わせて食べる食事は穀類及びその加工品へと必然的にシフトしていくことになる
また、近年、三度の食事が必ず食べられているかというと、疑問が出る。
そこで考えられる食事は、代用食、若しくは中間食、さらにはおやつ感覚の食事と言うことになる。
 
それらの食生活の変化に対応して、「如何に健康で健全な食」を、消費者に提供できるかをむかし野菜の邑では考えようとしている。但、野菜を10数年作り続けて、いつも何かが足りないと感じていた。
日本人の主食であるお米は、仲間である平野さんが徹底した自然農米をすでに生産しており、むかし野菜でも販売していた。
日本人の昔からの食生活の中に、お米ほど多くは無いが、むかしのお百姓さんは、米は年貢として五公五民として取り立てられていた。そのため、生きるために、喰うために、麦・稗・粟などを畑で栽培して米と混ぜたり、団子や餅にして食べていた。その多くは、全粒、若しくは全粒粉で食べられていた。なるほど、むかしの農家は健康な食生活をしていたのでは無いか?と考えた。
白米は脱穀すると、麦は製麦してしまうと、ビタミン類やミネラル類がかなりな部分消失してしまう。
始めて植えた麦の穂が黄金色に染まる麦畑を眺めていると、何故か涙が出ていた。
これが大地の中で生かされていると言う事か?生命の営みを感じてしまう。
 
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以前から、完全無添加な加工品であり、醗酵食品である「醸造味噌・乳酸発酵の漬物」は随分と製造してきた実績がある。
今回は、草木堆肥で育てた圃場で、除草剤や農薬を使用せず、自然栽培の穀類を育て、その原料のみを使った新たな商品開発を行おうと考えていた。
大量流通市場の急速な伸展に伴い、食の簡便化・効率化・規格化が進み過ぎて、現在人は、本当に美味しい、あるいは、栄養価の摂れる食べ方を見失いつつあるのではないか?
そこで、考えた開発のヒントは、「古きを尋ねよ」であった。

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○むかしから農家では、麦を焙煎してヤカンで沸かして一晩寝かせて麦茶を作っていた、なかでも美味しいのが、裸麦の麦茶であった。滋養豊かな麦の味香りと旨みをじっくりと引き出す事が出来る。

「麦茶」―原料裸麦
この原料の多くは、六条大麦などの大麦である。市販の麦茶はペットボトルで販売されているものも多いが、かなり焦がして砕きパックに入れて簡単に水出しできるように設定されているものも多い。
当農園では、むかしながらの風味のある麦茶の作り方にこだわった。
やかん、若しくは鍋で焙煎した麦を煮出し、一晩寝かせてじっくりと麦の味香りを引き出す方法を選択した。スタッフ達で飲んでみた。苦味ではなく、鼻にいきなり、焙煎した麦の香りが飛び込んできた。
さらにふくよかな甘い味や香りがその後を追ってきた。「旨い!」と感じた。
これなら、冷たく冷やして飲む夏場だけでは無く、秋冬も暖かい麦茶が美味しく味わえる。
やかんに残された麦も捨てるのはもったいなく、口に含んでみた。薄く塩を振ったら「麦のリゾット」であった。
 
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○草木堆肥で数年以上、土を育てた圃場でできる裸麦と日本固有の交配させていない古代麦(一粒餅麦)を一定の割合で混ぜたら味香り豊かな麦ご飯が炊けるのでは無いかと考えた。
 この古代麦は、品種改良されていない餅麦の系統で、ご飯に混ぜる雑穀として食べられていた。
 
「麦ご飯セット」―原料、半精麦した裸麦と全粒の古代麦
最初に取り組んだのは、古代麦はその強い味香りと粘りの特性を活かすため全粒は決めていたが、食べやすくするため裸麦をどの程度精麦すべきか?どの比率でブレンドするかと言うことであった。
ご飯と一緒に炊いてみて驚いた。今まで食べていたご飯と違っていた。
ご飯に旨みが強く感じられ、何より驚いたのが、その香りであった。子供の頃に健康に良いからと言われて食べさせられた麦ご飯とは全くの別物であった。暖かいときと比べて冷めたときも麦の嫌な臭いはせず、むしろ冷えた時の方がより味香りが強いような気がする。
歯にさわるやや硬めの古代麦のプチプチ感も面白く、アクセントになっている。
 
市場では、五穀米や雑穀米などの、ご飯に加えるブレンドされた雑穀が健康に良いなどと言われ、出回っている。唯、味も香りも乏しく何より旨みが無い。
これはおそらくは、ミネラル不足や化学肥料施肥(勿論除草剤もそれに加わると思われる)による弊害であり、何より、土を育てていないことがこの味香りの決定的な差として現れている。
 
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○日本での小麦は、高温多湿と四季のある気候風土では、そのほとんどが中力小麦である。
 グルテン(タンパク質)の含有が少なく、パン等には不向きであり、粘りがある特性は、うどん・団子などに適しており、ほおとう・流し焼き(クレープのようなもの)・石垣餅(さつまいもを練り込み蒸して作る)・やせうま(湯がいて黄な粉と絡めて食べる)などの食文化があった。
ちなみに、麦をハイグルテン(高タンパク)に持って行くには、化学肥料などの強い高窒素肥料を施せば、ある程度のグルテン使用の小麦は出来る。唯、当農園は高窒素栽培は理念に反しており、土作りに数年を掛ける途を選択している。
 そんな食文化は次第に廃れ、今では、日本の小麦(中力粉)を生産する農家も減り、道の駅等で、地粉としてささやかに売られているだけである。
兎も角、小麦は製粉し、料理のレシピを付けて、古くて新たな食文化を作り
出すしか無いと考え、商品開発を進めようとした。
 
「小麦粉」―半分精麦した中力粉 & 古代麦の全粒粉のブレンド
小麦粉は、そのグルテン含有量によって薄力粉・中力粉・強力粉に分かれる。日本では、このうち中力粉が栽培されている。他は日本の気候風土に合い難いからです。
一般的には、薄力粉はクッキーなどに、強力粉はパンに、中力粉は麺類へ使われる。最もパンなどは、強力粉だけでは難しく、他の小麦粉をブレンドして使われている。
麦には食物繊維・ビタミン・ミネラルが多く含まれており、健康食品と言われているが、その多くの栄養素は製麦する前の皮や胚芽のほうにあり、白くなった胚乳には極端に減ってしまう。
栄養素を逃がすまいとして、全て全粒粉にすると、ごわごわとし、重たい感じになり、食べ難くなる。
粉にする場合に、この比率をどうするかの結論を出さねばならなかった。

イメージ 8               向かって左が「弥富餅麦」

弥富餅麦は、欧州のスペルト小麦とは異なり、純粋に日本の古代小麦である。
おそらくは、日本固有の原生種と思われる。
この全粒粉を日本の中力小麦の粉とブレンドしたものが、当農園の小麦粉。
栽培する契機となったのが、お客様からの要望「小麦アレルギーを持つ子供さんの悲しい顔」でした。

農園日誌Ⅱー「活きること」PART26

2019.7.17(水)曇り、時折雨、最高温度30度、最低温度20度

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           梅雨の中休み、胡麻の花が可憐に咲く

 誰が言い出したのか?「胡麻を植えたら!」 そう言えば、今まで胡麻など植えたことは無かった。いつの間にか種を買ってきたものだから、仕方なく、空き畝に種を蒔いた。
子供の頃は、何処の畑にも胡麻はあった。残暑厳しいとき、ござに干された胡麻の枝を叩いて種(実)を落とし、トウミに掛けてゴミなどを取り除き、何しろ余りにも小さな実なものだから、かなり面倒な作業をしていたような記憶が残っている。
この花を見ていると「あー!こんなきれいな花だったな」とどこか懐かしさを覚えた。

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毎年チャレンジしているとうもろこし。毎年芯喰い虫にやられている。
それでも懲りずに今度は小さな畑に種を蒔いた。
何十本かはやられているが、今年は、比較的被害が少ない。
この分だと、粉類の試験的商品開発には使えるだけの収量はありそうだ。


「活きること」PART26
2018.9.2  処女地の開墾作業
 
 熊本から料理専門高校を卒業後、19歳の若さで単身、農業の研修生として佐藤自然農園で自然栽培農業を学ぶことになった小原君。早いもので、早、3年目を迎えた。
二年間の農業研修を終え、新規就農を目指して、彼の畑を持つことになった。
大分市野田の10番の畑と併せて、近接の由布市挟間町古市の畑を借り受けるに当たり、ビニールトンネルの残骸を撤去することから始めねばならない。農業とは先ずは、開墾作業からとなる。
むかし野菜の邑スタッフ6人で、散乱したビニール・パイプ・プラスチック・コンクリートの杭などを撤去した。その廃材処分などの費用は、小原君にはお金も資産も無いため、むかし野菜の邑にて負担した。
所謂、出世払いとなる。こうして、順繰りに農人を育てて行くことになる。

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2018.12.9  畑作り(土を育てる)
ここは、以前は苺栽培に使われており、数年間は放置されていた農地であり、黒ビニールに覆われていたため、雑草はそんなに生い茂っているわけではなかったが、その分、土は硬化している。
むしろ雑草に覆われていたほうが自然に近い環境となり、微生物層はできていくのだが、残念ながら、一から土作り・微生物層を育てて行く必要がある。
数回耕した後、みんなで草木堆肥及び牡蠣殻・草木灰などを多めに振り、最初に育てる作物は、穀類となる。麦と大豆を二毛作し、年間2回の草木堆肥施肥となり、先ずは土を育てていかねばならない。
野菜栽培の年間4回の施肥と異なり、野菜を育てられるまで、土が出来て行くには、少なくとも4年は覚悟しなければならないだろう。草が繁茂した放棄地と比べて、微生物層が出来ていない。その代わりと言っては可笑しいが、草の種子があまり落ちていないため、除草の手間は少なくて済む。
 
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およそ軽トラック6杯分の草木堆肥・焼き灰・蛎殻・苦土石灰が振られた

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見た目は見違えるようにきれいな圃場となったが・・・

 
2019.1.17   麦踏みと収穫
 
12月に小麦の種を蒔き、何とか麦踏みの段階まで育ってきた。
草木堆肥2:放牧牛の牛糞1を混ぜて通常より多めに堆肥を振ったため、発育はまずまずではあった。
唯、やはり力強さは今一のようだ。
その後、6月初旬、借り入れの季節を迎え、背丈は処女地にしては高く育っているものの、やはり、茎は細く、根張りも弱く、収量も3/4程度となった。
7月初旬、遅い梅雨入りを控えて、年間二毛作の一つ、大豆の種蒔きを行った。こちらのほうは、発芽状況も頗る良く、意外と良い大豆が採れそうな予感がしている。
 
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むかし野菜の邑では、このように、処女地は先ずは、土が微生物層で耕され、団粒構造化するまでは、
麦・大豆・とうもろこしなどの穀類を植え、4~5年経過したら、次は南瓜や馬鈴薯を育て、さらに土作りを進め、団粒構造化が最低15センチの深さまで行ったら、初めて葉野菜などの種を蒔く。
草木堆肥を使った団粒化は一年で3~5センチ程度の深さまでしか育たないので、3年若しくは、4年経過しないと、むかし野菜の生産基準に満たない。研修生たちは、最低3年を待たないと野菜作りができない。最も畜糞等の肥料を多投すれば、すぐにでも野菜は育つが、味香り薄く、甘み無く、歯切れは悪く、むかし野菜の野菜の基準である「栄養価高く美味しい」とはならない。
その間、穀類だけでは生活基盤が保てず、そのために共同生産・共同加工・共同出荷の「結い」の仕組みがあり、グループ全員で支えることにしており、野菜作りで先行している先輩たちがむかし野菜の邑を通して、後進の面倒を見ることになる。その最大の農園が佐藤自然農園であり、会社の基幹農園に位置している。

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三年(3年未満は赤ラベル級)を経過したら、野菜作りが本格化していき、「銀ラベル級」の野菜となり、主には葉野菜・じゃがいも・玉葱・ブロッコリーなどの比較的根の浅い作物の生産が中心となる。
次の関門は5年。5年以上の草木堆肥歴の圃場から採れる野菜は「金ラベル級」となり、大根・蕪類オクラ・キャベツなどの野菜が中心となる。
特筆すべきは、人参である。人参は根が深く土壌の出来栄えが、即、味香りに出る。
人参を植える圃場は、原則、草木堆肥歴10年以上経過した畑となる。
こうなると、その土はプラチナ級の土となっている。
 
このようにして、むかし野菜は定期購入のお客様の信用を得ている。
同時に、むかし野菜の邑に属する研修生たちは、およそ10年を掛けて野菜作りのノウハウを学び、様々な販売及び加工の実践を重ね、農業経営の経験を積み、ようやく一人前の独立農園主となっていく。

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農園日誌Ⅱー「活きること」PART25

2019.7.10(水曜日) 雨、最高温度26度、最低温度18度

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             梅雨の中休みの夕暮れ時ー夏野菜達

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 今年、あちこちから電話が入る。
「茄子の様子が変だ」「どうしても茄子が育たず、生き着いている」「何か方策は無いか」など。
ご覧の通り、当農園でも茄子に最適の圃場でもこの通り。正に生き着いている。
農業を始めて、実験農園から通算して25年が経過した。
それでも毎年の気候の変動や異変は尽きない。この茄子も同じである。
その原因が分からないため、方策が打てない。
土は固くしまって酸欠になっているわけでも無く、雨不足のため、梅雨の長雨で蘇ると思っていたら、ますますひどくなってきている。
インゲン・胡瓜・ズッキーニなどの初夏野菜や盛夏の野菜であるトマト・ピーマン系も順調に育っているのに、何故に茄子だけが悪い。
何年やっても農業は分からない。

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大豆は少し時季は早いが、およそ4.5反に種を直播きした。
例年であれば、大豆の蒔き時季は7月中旬頃、この時季は梅雨も終わり水分不足で育たないこともしばしばであったが、今年は梅雨の入りが遅れたため、梅雨の真っ最中に何とか種が蒔けた。
今年は、雑草対策さえ施せば、去年のように坊主と言うことにはならないだろう。

{活きること」PART25

2018.5.2  軽トラ販売
 
 東京において、マルシェ販売を行っている会社がある。二年ほど前から週に二度ほどそこへ野菜を送ってきていた。関東では、野菜のマルシェ販売がブームになっている。
土日のみの販売でとても採算に乗るとは考えられないので、こちらも半信半疑でお付き合いをしてきた。
当農園もメイン市場は関東であり、全国定期購入のお客様の50%が東京・横浜・埼玉に集中していた。
そんな中、その会社でメインの立場にいたH君から、会社の運営を巡り社長と意見が合わず、独立したいとの申し出があった。
かれは取り組み姿勢も前向きで、実にまじめに働く青年であり、当農園も支援の方針を固めた。
東京はショップの大型化が進み、地域の小さなスーパーは全てその波に飲み込まれていき、車を持たない人達の買い物難民化が進んでいた。
そこで思い立ったのが、機動力のある軽トラックでの野菜及び海産物(干物等)販売であった。
農園主がイメージした販売方法は、最寄りの中小型スーパーが配転し、買い物に不便な大型団地の公園
や車止めの空き地に毎週定期的に訪れ、固定顧客を付けていくと言った地道な戦略であった。
彼とは、一年間、独立採算が取れるまで、当農園が一定の手当てを出し、軽トラックも買ってあげ、早速に動いてみることで話がなった。

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H君はすっかりうちの孫達と打ち解けて、固い決意を込めて東京へ帰っていった。皆の期待とちょっぴりの不安を載せて、結いの屋号で旅立っていった。
 
ネーミングは意見を出し合って、「結いの屋」とすることになった。
 
やがて、3ヶ月が過ぎ、一週間に2回、箱一杯、合計2万円ほどの野菜を送った。収支採算が成り立つには、週に少なくとも加工品も含めて10万円の野菜を売らねばならない。
彼からは中々良い報告が届かず、お客様を掴まえ切れていないようである。
麦類・漬物・味噌他の加工品についても冷蔵保管が難しく、野菜以外の商品ラインの展開もはかばかしくできないようだった。
 
今まで、彼は、大きなマルシェ展開の場、つまりは、イベント販売には慣れていたが、個別にお客様を開拓していくことの経験はなく、個人にて売ることの難しさを痛感していったようだ。
また、彼がようやく捉まえた販売拠点が彼の自宅から遠く、ガソリン代などの経費ばかりが嵩み、半年を経過したあたりから、著しい伸び悩みが見え始めていた。当農園のスタッフ達との溝も徐々に広がっていった。
 
そこで、彼に問いかけた。
団地の空き地や公園の片隅での拠点作りはどうか?と、彼の回答はこうだ。
東京と言うところは、公園の車除け地などに駐車していると、すぐに近隣の方から通報が入り、すぐに立ち退かねばならなくなり、半商業地の事業所などの駐車場を借り受けると、一回当たり1万円の駐車代金を後に請求された。東京では、そもそもが、空き地に車を置いて何かの販売行為をすることはもはやできなくなっている。
 
東京での人気のファーマーズマーケット(マルシェ)への出店はどうか?と聞くと、農園主の勧めで青山通りのマルシェを尋ねていくと、そこでは、野菜もあるにはあるが、多くは花屋さん・雑貨店・惣菜店弁当屋が主体となっており、イベント販売に変ってしまっている。
そこに出店する意義は感じない、とのこと。
 
これらの情報を総合的に考えていくと、こうである。
①東京では、行政の規制強化が進み、自由なマーケットとは遠くなってお
 り、住民の意識も実に無機質で、公園横にでも駐車しようものなら、すぐ
 に通報されてしまうなど、暖かみや寛容性を感じないものなっている。
②野菜も含めて食品に対する意識が高い消費者も居るに居るようだが、大多数の消費者は安売り販売や珍しい商品にのみ目が行き、野菜の美味しさや安全性を見極めることに慣れていない。
意識の高い方々への接触は、軽トラは販売では、極めて可能性に乏しいようだ。
 
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虚しく帰ってきた結いの屋号、この車の使い道は果たして如何に?
大分でのイベント販売に使うことになる。

東京のマーケットは、自然栽培の野菜の評価と支持率は低く、値段が高いと言う方が圧倒的に多く、美味しいと言ってはくれるが、その野菜等の価値や意義を認めてくれる人はやはり少なく、かなりの難しさが出ている。
野菜だけで人を集めていくことは難しく、東京の有名八百屋さんすら、惣菜店及び弁当店に変わっていっているようだ。マーケットも大型化するに連れ、野菜の専門家がお客様と遣り取りをし、コンサルを受けながら、野菜を買い求めると言う習慣から、「安近短」化が進み、会話することも面倒に成り、人と人の触れあいを無くして行っている。
となると、日本では、欧州のような農産物の健全性・ナチュラルさを前面に出した農園マルシェが定着することはかなり難しい市場環境にあるのかもしれない。日本では良質で健全な食を手に入れようとするオーガニック市場の形成は難しくなっていると言わざるを得ない。

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    むかし野菜の邑の農産物及び加工品の直売所

 
このようにして、残念ながら、むかし野菜の邑の農産物、東京への進出の試みは、中止にするしか無かった。H君には無理を強いた形に終わった。
それでも彼に事業の立ち上げの困難さを経験させたことは、彼の将来の財産になることを祈る。
唯、真に健全な農産物を作り続けることは、販売において、相当に付加の掛かる市場啓発・啓蒙活動をやり続けねばならないということになる。
これは農産物に限らず、品質の高い「ものつくり」や専門家及び職人の育てにくい市場環境になってしまっていることが実に気がかりとなる。

農園日誌Ⅱー「活きること」PART24

2019.7.3(梅雨雨)最高温度26度、最低温度19

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                  開封前の本醸造味噌

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 季節は本格的な遅い梅雨入りとなった。
長さ80mの畝が7列、30度を超える日中に、下葉・中葉などの込み合った葉を落とし、風と太陽をトマトに当ててやる剪定誘引作業が続いていたが、今度は、じとじととした雨が降る最中に、合羽を着込んでの剪定誘引作業が続いている。
葉っぱに潜む十星テントウムシやトマトを食い荒らす幼虫を潰しながらの作業は、
どちらも耐え難い作業となる。

それでも、良いのか悪いのか、その雨の中、トマトが第一次の最盛期を迎えようとしている。
この時季は、トマトがほんのりと色付き始めると、雨のため、すぐに割れてしまう。
本当に湿気には、敏感な奴です。
そのため、鬼取りと称して、わずかでも熟れの兆候が出ているまだ青味の残るトマトを無情にも収穫しなければならなくなる。食味も太陽が照り付ける夏とは違って、
やや甘味に欠ける。唯、お客様の元に着くころは、真っ赤に染まってはいる。

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 梅雨時期は、トマトだけに集中してはいけない。ピーマン系(万願寺・伏見とうがらしやパプリカ・黒ピーマン、そしてピーマン)も待ってはくれない。
初期的な支柱はしているものの、小枝が無数に出ており、これも剪定誘引作業が
必要となっている。
明日は梅雨の一休みの頃合いであり、早速に中ほどに無数に出てしまっている小枝を落とし、風と光の途を確保してやらねばすぐに生き尽きてしまう。


「活きること」PART24

2017.12.3.    味噌作り

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大豆の種蒔き作業、この年は空梅雨で、堆肥撒きはうまくいったが、今度はすぐに夏の乾季が襲ってくることになる。
種は蒔いたが、雨が降らなければ、発芽が危ぶまれるし、鳩が大量に襲来し、丹念に撒いた大豆を拾っていく。この対策に追われることになる。
 
 一年を通して消費者にお届けしている無添加醸造味噌は、大豆の収穫が終わった12月頃から始まる。
その年の大豆の出来栄えで全てが決まってしまう。
大豆は夏場、7月に入って、梅雨が終わったらすぐに種蒔きが始まる。処が、梅雨明け時期が問題である。
何しろ、大豆や麦の圃場は、以前田んぼであったところが多く、当然に泥が溜まっており、極めて乾燥状況が悪い。草木堆肥を振るにも、唯でも堆肥を満載して軽トラックがその旧田んぼに入ろうものなら、すぐに埋まり込んでしまう。タイヤショベルを動員して引っ張り出すこともある。
何とか堆肥を無事に振り終えたとしても、トラクターで耕耘する際、まるで泥田に入るごとくである。
そこに大豆の種を蒔き、管理機で土掛けを行う作業も埋まり込んでしまい、まったくうまくいかない。
 
さらに、夏場の種蒔きであるから、梅雨が終わったら、すぐに乾季に入ってしまい、畑はカラカラになり、大豆が育たないこともしばしばである。また、夏草の繁茂は凄まじく、大豆が芽を出したとしても、すぐに草に覆われてしまい、当然ながら草に負けてしまい、大豆が結実しないことも多々ある。
草に覆われる前に、草刈り機で畝下の草を除去しなければならない。
この一連の作業は実に暑い暑い夏場の作業となり、スタッフは汗だくでへとへとに疲れる。
当農園では、当然に除草剤を使わない。これが大豆の出来不出来に直結する。自然栽培とはかくも過酷な農業なのです。おそらく、全国でも稀有な大豆の自然栽培となる。
 
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 何を植えているのか分からないほどに、夏草が多い尽くし、管理機を入れたり、草刈りを行ったりしても、御覧の通りの状態となる。これが大豆の自然栽培の風景です。季節は実りの秋、11月末となる。

味噌作りは、先ずは、米麹作りから始める。そこで使われるお米は平野さんの自然農米。
加工所の竈で蒸され、隣室の麹部屋で麹と混ぜて囲う。二昼夜、付きっきりで管理する。温度が60度以上になると、雑菌が入りやすくなり、何より、麹が傷んでしまう。
常に50~60度程度に留めておくためには、6時間おきにチェックし、高温になりそうだったら温度を下げたり、温度が上がらない場合は、室温を上げたりの調整管理が必要になる。

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お米に麹の花が咲きました。蒸し加減が難しく、水分量も上手くいかない場合も多い。この時は、気温湿度・水分量がほど良かったのでしょう。
唯、食感がやや異なる程度であり、旨味はほとんど全て自然栽培の大豆やお米から出てくると思われる。麹は専用の麹部屋で作られる。


麹が3日ほどで完成したら、大豆を一昼夜水に浸し、竈で大豆を蒸して、中指と親指で挟んで潰れる程度になったら、できあがり。粗熱を取り、米麹と天然塩を加えて混ぜ込み、潰し、味噌玉を作る。
その味噌玉を空気が入らないように瓶に押し込む。上に塩を振って虫や病原菌を予防しながら、8ヶ月間ほど寝かしてようやく無添加醸造味噌が完成する。
米麹の量を増やせば、甘めの味噌となり、麹と大豆の比率を変えながら、毎年実験を繰り返している。
味噌樽を開ける際は、うまく出来ておりますようにと祈りながら、毎年どきどきしている。
この味噌を一年間の間に皆様にお届けしている。

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農園の竈は、味噌作りのシーズンになると大活躍する。以前は、大豆を煮ていたが、大豆たんぱくやアミノ酸が溶け出しして、もったいないな!と思っていた。そこで竈ができてからは、三段重ねで大豆を蒸すことにした。
これだと大豆の栄養価の流失は最小限となり、美味しい味噌ができる。
この竈は、米麹を作る際も使う。
イベントなどがある場合は、みなさんに竈で炊いたご飯が出せる。
 
農園で消費者の方々全員にインタビューを試みた。
支持率98%とこの醸造味噌は人気が高く、皆様の満足頂ける生産量を確保できないのが、残念ではあるが・・・。
 
かっては、何処の農家でも、また、一般家庭でも自分の味噌は自分で造るということが、そう遠くない時代に行われていた。地場の味噌醤油の醸造元も多数あった。
戦後復興期、生産量を増やせ、産業を興せの大号令の下、都市部に人口が集中し、需要が増加し、巨大マーケットを形作る時代になって、各地の醸造元がとある資本家から集められ、地場の醸造業者が味噌・醤油屋として、合資会社を形成したのが、現代の味噌醤油などの大生産会社の始まりであった。
その会社が生産する味噌醤油の多くは、手間と経験と時間が掛かり、リスクの伴う本醸造ではなく、大豆を絞り、その豆乳のような液体に、塩酸を掛け、味噌の味のするアミノ酸に変化する製造方式にシフトしていった。
それでは旨みや香りが足らないと、旨み調味料や香料を付加し、色が悪いと言って着色料も加える。
ある化学者がテレビでこのように豪語していたのを思い出す。「味噌や醤油などは、化学を使ってどのようにでも作れる」と・・・。
これは何も味噌醤油だけの話ではなく、まるで一つのお菓子を商品開発する工程に似ている。
多くの市販の漬物もそうである。日本の至る所に、化学合成された食品が出回っている時代になっている。
流通の過程で、密封された加工品は、流通及び販売途上に変化しては困る。特に生きている発酵食品は始末に困る。乳酸発酵などにより、流通途上で如何に真空パックに入れようと、生きているものだからやがて膨れあがり、ぱんぱんになってしまう。当然、滅菌処理をしなければならなくなり、もうその段階で、その味噌などは醸造された発酵食品ではなくなってしまう。
それならと、本醸造された発酵食品は大量流通が難しいため、徐々に消えていき、今の化学合成味噌になってしまった。
このようにして、大量の物流・大量の消費社会においては、流通する食品は、何らかの化学薬品漬けにならざるを得なくなっている。東大のある名誉教授は、大量に流通する加工食品には、添加物は不可欠であり、それらが無いと、経済は成り立たず、結果として消費者のためになっていると断言している。

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大豆が蒸し終わると、米麹と塩(減塩12%)と合わせて、ミキサーに掛け味噌玉を作る。これを空気を入れないように甕に押し込む。
ほとんど一日仕事になる。米麹を作るところから行くと3~4日の工程作業となる。約一年寝かして本醸造無添加味噌が完成する。
米・大豆・塩も含めて生産段階から化学物質は一切含まれない完全無添加の味噌が出来上がる。おそらくは、ここまで徹底した味噌は全国にも無いと断言できる。

その添加物等は、安全基準を作って、添加量を調整している。
例えば、1/10ならば安全とすると、もし万一毎日食べても安全ということなのだろうが、他の加工食品も毎日食することになり、一日三食、10種類の味噌・醤油・弁当・お菓子・パン・調味料などを複合して食べると一体どうなるのだろう。
皆様は、この時代のこの現実を如何にお考えになられるでしょうか。
決して不安を煽るつもりもありませんが、一つだけ言えることは、ご自分の体や健康は自分で守るしかないと言うことです。
 
農園主は、野菜・農産物・及びその加工品を消費者へ直接販売している。但し、このように付け加えている。「生きているものですから、なるべく早めにお召し上がり下さい」と・・・
先の味噌の支持率ですが、要らないと答えた方の2%は、自ら味噌を造っているそうです。

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高菜漬けを作っている処。
これもスタッフ全員で天然塩でもみ込み、塩で水分を出し、さらに、とうがらしなどを加えて、本漬けにする。
同じように乳酸菌発酵の漬物は、大根・胡瓜・茄子・瓜などがあり、塩・酢・酒粕・砂糖しか加えない。自然と乳酸菌発酵した漬物には、昆布や鰹節おのグルタミン系も加えず、素材の美味しさを引き出すことにしている。

農園日誌Ⅱー「活きること」PART23

2019.6.26(水曜日)曇り後雨、最高温度28度、最低温度20度

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                    フェィジュアの花

 むかし野菜の邑の社屋の壁際に、プロパンガスのボンベが気になり、ぼろ隠しのつもりで植えた常緑樹ですが、思いの他、艶やかな花が毎年咲いてくれ始めた。
これも実を為し、楽しませてくれる。

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由布市挟間町古市の小原君の圃場に大豆を蒔く。今年は、小麦の刈り入れが順調に進み、幸い、遅い梅雨入りのお陰で種蒔きが間に合った。
農園主・後藤君の圃場も併せて、合計6反(1,800坪)の大豆の種蒔きが全て終わった。残すところ、庄内の4反の圃場のみとなった。そこには、梅雨が終わり次第に、種を蒔く予定です。
麦系・大豆ともに(二毛作)、グループ全体で約1町歩(1he)となる。
今年は自然栽培の穀類の加工品に力を入れていくつもり。
大豆からは、「味噌・黄な粉・蒸し大豆」が、麦からは、「麦茶・麦ご飯セット・ブレンド小麦粉」が、できて、粉を使った野菜万頭やパンを作ることになる。
パンは、当農園では流石に無理であり、北九州の市川製パンさんが作ってくれることになっている。
小麦は製麦しましょうかと尋ねると、「ダメです。全粒粉にしてください。味香りが損なわれてしまいます」とのことでした。


「活きること」PART23
2017.10.3  農園の危機に誕生した、新たな開発商品
 
 テレビ放映のため、新規顧客が急増したうえに、夏の酷暑、乾期と続き、ようやく涼しくなってきたかと思うと、秋を飛び越していきなり冬に変ってしまい、深刻な野菜不足に見舞われ始めた。
このままでは、400名のお客様へ出荷し続けることは難しくなる。
それを見越して、以前から考えていた新たな商品開発(加工品)を模索することになった。
やはり生鮮野菜だけでは、一年間を通して多くのお客様を支え続けることは難しい。特に、めまぐるしく変化する昨今の異常気象の中では尚更であった。
秋、夏野菜の終わり頃になると、青紫蘇が終わり、実を結実し始める。この実を醤油及び味噌漬けにすることにした。これは私がまだ小さい頃、母が紫蘇の実を収穫し、唐辛子系の葉っぱと一緒に漬け込んでくれていた。これがあれば、ご飯を何杯も食べれた。プチプチとした食感が堪らなく美味しい。

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紫蘇の実は、取っても取っても増えない。最後は皆飽いてしまい、「もうこれだけで良いか」と諦めてしまい、いつも、少ししか出来ませんが・・・

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大葉の出荷が終わり、花が咲き、実を為す頃、この紫蘇の実をスタッフ全員でこさぎ取る。手間が掛かること夥しい。さらに、湯通しして、灰汁を抜き、唐辛子の葉っぱを加えて、味噌に漬け込む。さらに少量の柚子の皮を加えて完成。
プチプチとした食感が堪らなく美味しい。

さらに、バジルも終わり頃になると、畝上げの時季が近づく。このバジルを摘み取ってバジルペースト作りを始めた。同時にそれならと、紫蘇ペーストも出来るはず。そうなると、食べ方・使い方も同時にレシピ開発しなければならない。試作の日々が続いた。
これが流石に草木堆肥で育てたことはある。奥深い味のペーストが完成した。唯、これもそんなに大量に出来るわけではない。

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右上が紫蘇ペースト、右下がバジルペースト、左上が裸麦の麦茶、左下が麦ご飯セット(古代小麦ブレンド)。バジルペーストの使い方はお分かりでしょうが、紫蘇ペーストは純和風ソースであり、冷や奴などにも、かなり合います。
 
それでもまだまだ商品は足らない。そこでこれも以前から考えてきたことを実行に移そうとした。
野菜屋さんが、あろうことか、海産物を商品にしようと模索した。大分県はむかしから海の幸も豊富であった。
スタッフ達には相談をせず、銀行・県・市役所などに連絡を取り、できるだけナチュラルな海産物加工品を探してもらうことにした。紹介のあった海産物加工所を訪ね回った。
そこで愕然としたことが、干物がすでに干物ではなくなっていた。さらには、干物は現代では、冷凍食品となっていたことであった。むかし天日で干した美味しい干物があったが、今では、そんな手の掛かることはしないとのこと。塩に漬け込んだ魚を冷蔵乾燥にするのが昨今の干物である。さらには、無添加干物は無く、必ず保存料・酸化防止剤・着色料が入っている。
と言うのも、漬物・味噌も含めてすべての加工品が添加物だらけとなっていた。
これは20年前に定められたPL法(製造者責任)の影響が色濃く出ていたことによる。
細かい規定はさることながら、要は、流通に流れる商品(加工食品)は、何かあったら、全て製造者の責任が追及されると言うもの。例えば、流通(販売)段階で保管が悪かったために、商品事故を起こしたとしてもと言う意味です。製造者はその責任を逃れるために、添加物に頼ろうとする。
こうなると、日本の食品添加物が3600種類にも上り、米国が1600種類なのに比べてもその許容範囲が異常に広くて、添加物はとどまるところを知らず増えてくる。
しかも、驚いたことに、原料及び加工段階での添加物はノーカウントだとのこと、商品に仕上げ、出荷する段階のもののみを表示すれば良いと言うことになっている。
 
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消費者の方も最初は面食らったかと思います。但、事前に皆様へ紙面にてインタビューを試み、OKを頂いてからの配送とした。嬉しかったのは、佐藤さんが勧めるものは、間違いが無いので安心して食べれますとの回答が多く寄せられ、身が引き締まる思いでした。
結果は、大好評で、ほっと胸をなで下ろす。

無添加干物を探し回り、かつ、説得した結果、ようやく二社から無添加干物の製造OKの返事を頂く。
次に待っていたのは、「お客様は野菜を待っておられる。何故海産物なのか?」との女性スタッフからの激しい抵抗であった。農園主は、このように彼らを説得した。
「お客様は、そんなに安くも無い送料を掛けて野菜を取って頂いている。その野菜の箱の中に、美味しい海産物が入って、食卓を彩るとしたら、きっと嬉しいと思っていただけるお客様もいるし、リーズナブルに感じて頂けるのではないか。さらに、当農園は、自然に沿った食を提案しており、無添加干物はこの時代、実に貴重である」
私は、食の安全が脅かされているこの時代だからこそ、同じナチュラルな食を模索している製造者とは今後とも手を組んでいかねばならないと考えていた。つまりは、同志として、仲間としてです。
それが消費者の食の健全性を守っていると言うわが農園の理念であり、自負心だと思うからです。
 
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実に丹念なおばあちゃん仕事でした。「2,000個、作り終えたら、指紋が消えていたのよ」とにこにこしながら、話して下さった。
この後、野菜・加工品・海産物、そして山の幸がむかし野菜の商品を彩ることになる。

次に、長年、県会議員などを通じて探していた山の幸=山菜などを採ってくれる人を探していたところ、
朗報が入る。それが、山里の平野さんと言う老夫婦でした。早速、訪ねて行った。
軒下に干し柿が2,000個以上吊り下げられていた。彼らにこう言った。
私が都会地に住んでおられる消費者の方々に食べさせたい干し柿は、からからに干した柿ではなく、外側が乾燥し、中がまだ柔らかい干し柿です。私が子供の頃、母が干し柿を作ってくれていました。
まだかな、まだかな!と待っているうちに、からからになる前に、ほとんどすべての干し柿を食べてしまっていました。そのほうが美味しかったからです。
さらにこう伝えた、平野さんは山菜取りの名人だと伺っております。例えば、こごみ・タラの芽・干し筍
・銀杏などです。最初は遠慮していたのか、あまり積極的ではなかったこの老夫婦も、次第に山菜などの出荷が増えていった。
 
こうして、この年は、天候不順からくる農産物商品の不足にも何とか持ちこたえて、休園を皆様にお伝えせずに済んだ。何とか凌ぎ切ったのでした。

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        曼珠沙華がたわわに実り始めた田園風景に溶け込む